高野孟(たかの・はじめ)
経済雑誌などがベンチャー・ビジネスを盛んに取り上げているが、それらの記事を 「へえー、こんな商売もあるのか」と感心して読み流しているだけではもったいな い。21世紀の日本を活気づける領域をイメージしてみよう。これから日本が何を伸ば していけばいいのかがつかめるなら、将来の希望を与えることで教育問題解決の手だ てにもなるし、失業している中高年や就職難の学生にも、自分らにどんな可能性が開 けているかを語ることができるようになる。
『日本経済新聞』の近畿経済版に7月下旬(1999年)に連載された「ひるむな関西24万社・第三部/平成の起業家」には、寝たきりの障害者が電子機器を制御するための脳波スイッチを開発した会社、迅速な納品をモットーとする医療衛生器具のコンビニ、インド・バンガロールと結んで格安ソフト開発のビジネス、生活のニーズを熟知して商機をつかむ主婦たちのNPOなど、「不況」と言われる状況でありながら(というべきか、だからこそというべきか)各地に沸き起こりつつある新しい「仕事」ぶりが具体的に描かれていてなかなか面白い。
この手の記事は、最近、経済雑誌などでもよく見かけるが、これをただ「へえー、こんな商売もあるのか」と感心して読み流しているだけではもったいなくて、もう少し戦略的に日本経済の発展方向を考えるための材料として活用したい。結論を先に言ってしまうと、私はこれから21世紀初頭にかけて面白くなる領域、従って、そこでどんどんいろいろな試みが出てくれば経済全体が活気が出てくるのではないかと思われる領域を、(こういう軍事用語は余り好きでないが)前衛・中衛・後衛の3つに分けてイメージしている。
前衛は、日本がこれまでの産業社会を通じて50年、100年かけて培ってきたモノづくりの智恵を活かす先端技術分野で、これは(前々から本欄でも強調しているように)大企業のみならず中小・ローカル企業も含めた資本財メーカーが中心である。上の『日経』記事で言えば、寝たきり障害者が電子機器を脳波で制御するといった(7月22日付)、世界を見渡しても余り誰も思い付いていなさそうなユニークな技術の開発である。 このような巧く転がれば日本だけでなく全世界でもてはやされて、事実上の“世界標準”の座を獲得してしまうかもしれないようなタネは、いま全国にゴロゴロあると言って過言でない。
この分野の中心は製造業だが、たんに昔ながらの職人精神が今も生きているというだけではない。最新の情報技術やネットワークの可能性を上手に取り込んで製造業のあり方そのものの変革に踏み出したり、あるいは逆に分類上はサービス産業に属するソフト開発会社が何かを編み出してそれをメーカーに持ち込むといった具合に、「情報」をキーワードとして製造業とサービス業が相互乗り入れしたり、補完関係を築いたりしている場合も少なくない。
ポスト産業社会すなわち「情報・サービス社会」とは、産業=第2次産業に代わって情報・サービス産業=第3次産業が栄える時代なのではなく、情報化・サービス化の流れが第3次産業自身だけではなく第2次産業にも第1次産業にも再編成・再構築の可能性を与える時代だと言える。
この分野にとって最大の問題は、次の点である。すなわち、主として製造業の大企業を相手に膨大な土地資産を担保に産業資金を貸し出すしか能がなかった、産業時代の遺物としての旧来の大銀行が破綻し腐朽する一方で、人間の顔や頭脳を見てリスクを賭けて投資するような、情報・サービス社会に不可欠のベンチャー・キャピタルの機能がまだ発育していない。そのために、いろいろな芽を思い切って伸ばすことが出来ず、せっかく日本が獲得しつつある「モノづくりの智恵の供給者」という21世紀的なステータスを固めることが出来ないでいる----ということである。
中衛は、食うだけで精一杯だったこれまでは考えられもしなかった新しいテーマや企業形態で、成熟社会に特有のニーズを捉えてビジネス化することで、これは実に多種多様な形がありうる。上の『日経』記事で言えば、医療機器のコンビニとか(7月24日付)、福祉関係の主婦達によるNPOとか(7月29日付)がまさにそれである。成熟社会ゆえの福祉・介護サービスの(内容と提供形態=主体の)多様化や、情報ネットワークの発達による流通体系の変革や、自由時間の増大や、NPOなど非利益追求型のビジネス形態の普及に伴う仕事感覚・金銭感覚の転換といった、一言で捉えれば金子郁容らが言い出した「ボランタリー経済」への流れの中で生まれつつある無数のフロンティアが大小の起業チャンスを提供しつつある。
有名大学を出て大企業に就職して安定した収入をと未だに考えているような人たちには目に映らないそのような可能性を、機敏に捉えて自らが主人公となって社会との関わりを再構築しようとする人の数は、統計的にどう掴まえられるのか分からないが、たぶん激増している。
この分野での主な障害は、長い官僚支配の惰性としてのがんじがらめの規制や法的支援体制の欠如だが、官僚も今までのやり方では生きていけないという状況がさし迫っているので、大局的には少しずつ改善されつつあると言える。
後衛は、農業の再生である。後衛と呼ぶと関係者は怒るかもしれないが、これまでさんざん見捨てられ痛めつけられながら、保護を願い出るばかりだった農業団体や大半の農家の無様な生き方が日本の農業をここまでダメにして、そのどん底から這い上がるしかないのだから、そのくらいの言われ方をしても仕方がない。
しかし後衛という言葉には、他の何がダメになっても農業がしっかりしていれば社会は成り立つという意味で、それが最後の救いであるという願いもこめられている。
農業基本法から3分の1世紀を経て、いまや農業人口はほぼ半分近い340万戸、人口比6%に減り、そのうち66%は「農業を主としない」第2次兼業であるという体たらくではあるが、今や人々は、金さえ払えば食の安全も健康も環境も確保できると思わされていたのは実は大錯覚だったことを思い知って、ここでもまた、あなた任せでなく自分で出来ることを手がけることを通じて問題を解決しようという蕩々たる流れが生まれつつある。
田舎暮らし、定年帰農、家庭菜園、グリーン・ツーリズム、産地直送といったものが1つの流行となっていて、それはしょせんは擬似的なものではあるけれども、そういう半身の形も含めて多くの都市住民が「農」と少しでも関わりながら生きることを選択することは積極的な意味があり、それらを「第3種兼業農家」と位置づけることも可能だろう。
他方、既存のプロの農家は、いままでの補助金漬けの自堕落から覚めて本格的な有機農業・環境保全型農業、さらには今回の農基法改正で法的意義付けを得ることになった持続型農業を指向していく。あるいは、半農的な人々の間から、サラリーマン時代に培った営業センスや技術能力を応用して新しい農家経営のスタイルを試みる人が生まれてくるかもしれない。それらが相まるなら、比較的短期間に農業に携わる人口を10%以上に持ち上げることは不可能ではない。
そうやって、日本の何を伸ばすかのイメージがおおよそ固まれば、例えば学校教育の荒廃の問題なども、ただ大変だ、深刻だというのではなく、子供の将来に希望を持たせるにはどんな能力を身につけるよう後押しすればいいのかも分かってくる。学生が就職がないとか、中高年のリストラが可哀想だとかいう前に、彼らがどんな可能性に着目すべきかを語ることが可能になる。
前衛は、世界に真似のできないような突端部分を作ることであり、中衛部分は、欧米など成熟社会ではどこでも豊富な展開が始まっている市民の営みを日本にも導入してふくらみを作ることであり、後衛は、これまた本来、他に類例がないほど緻密で自然循環的な日本農業の智恵を再興することである。そうすれば日本はそこそこ楽しく、世界からもほどほどに尊敬される国として次世紀もやっていけるのではないか。