映画の半可通 十河進




以下の文章は1992年2月号から1993年4月号まで15回にわたって月刊ビデオサロンに連載したものです。翌月の衛星放送の予定の中から好きな映画を選んで書くという映画案内コラムでしたが、編集担当者が「君も映画通になろう」とタイトルを付けてしまったので、けっこうプレッシャーがかかりました。1回800字程度のコラムでしたが、記憶だけで書くのは怖いので、まず書いてしまってから資料に当たって確認するという方法を採りました。さて、まとめるに当たっては「映画通」はおこがましいので、「半可通」にしておきました。




■イーストウッドをスターにした暴力派の巨匠



クリント《ダーティハリー》イーストウッドは、今やハリウッドを代表する大スターであり、監督としての評価も高い。しかし、マカロニウェスタンで復活したイーストウッドを、ハリウッド・スターにしたのは「ダーティハリー」の監督のドン・シーゲルだ。

黒澤と三船、スコセッシとデ・ニーロなど監督と俳優の幸福な出会いによって傑作が生まれることがある。ドン・シーゲルとイーストウッドの出会いは、「マンハッタン無宿」を生み出し、「真昼の死闘」に続き「白い肌の異常な夜」を経て「ダーティハリー」という不滅のバイオレンス・アクション映画に到達する。同じ年、イーストウッドの初監督作品「恐怖のメロディー」にドン・シーゲルは俳優として出演する。

そのドン・シーゲル作品が、今月は3本も見られる。まず、「刑事マディガン」だが、これがなければ「マンハッタン無宿」も「ダーティハリー」も生まれなかっただろう。ドン・シーゲルの重要なターニングポイントになった作品だ。怪優リチャード・ウィドマークが演じるマディガン刑事は、自分の拳銃を奪った犯人を憑かれたように追跡するのだが、結末に至り一挙に悲劇へと昇華する。タイトルバックのニューヨークのビル街を移動撮影するシーンは、後の「ダーティハリー」を思わせる。ニューヨークの夜景をこれだけ美しくサスペンスフルに描ける監督はそういない。

イーストウッドが珍しくシャーリー《アパートの鍵貸します》マクレーンと共演するのが「真昼の死闘」だ。ラストの砦での戦闘は70以上のカメラ位置から撮影し約120ショットで編集されており5秒以上のショットはないという。まさに、暴力的爆発である

そう、「ダーティハリー」を見た人ならわかるだろうが、ドン・シーゲル作品の面白さは、唐突なバイオレンスシーンにある。その意味では「ドラブル」は、名優マイケル・ケインを配して、やや地味めに仕上がっているかもしれないが、ドン・シーゲルの別の一面を見ることができる。(ビデオサロン1992年2月号)




■かつて大映時代劇があった─三隅研次の美学



かつて大映の社長はラッパと呼ばれ、プロ野球チームを持っていた。大魔神を飼っていたこともあるらしい。時代劇を量産し、黒澤明の「羅生門」でベネチア映画祭金獅子賞、衣笠貞之助の「地獄門」でカンヌ映画祭グランプリ、そして溝口健二の「雨月物語」でベネチア映画祭銀獅子賞を獲得し得意の絶頂にあった。

しかし、大映時代劇を作ったのは彼らではない。森一生、三隅研次、田中徳三、安田公義、池広一夫がいた。彼らは、それぞれ独自の作家性を発揮したが、大映時代劇を貫く共通するスタイルがあった。東宝時代劇の脳天気さでも東映時代劇の明朗さでもない。大映時代劇には、あくまで端正な美意識に充ちた悲劇性があった。この雰囲気は、フランスのフィルム・ノアールに近い。市川雷蔵晩年の傑作「ひとり狼」(池広一夫監督)の主人公は、J・P・メルビル映画の男達と同じ美意識で生きている。

さて、大映時代劇のスタイルを作り上げたのが「薄桜記」の森一生監督であり、市川雷蔵の最高傑作「斬る」と勝新太郎の最高傑作「座頭市物語」を監督した三隅研次だ。今月は、その三隅研次が監督した眠狂四郎シリーズの「勝負」「無頼剣」が放映され、池広一夫監督の「女妖剣」もある。どれもシリーズ12本中で水準の高い作品だ。

特に8作目になる「無頼剣」はシリーズ屈指の出来栄えといっていいだろう。シナリオは時代劇の巨匠・伊藤大輔。「座頭市物語」で平手造酒を好演した天知茂が、ここでも狂四郎の強敵である浪人・愛染として登場する。ラスト。屋根の上で、向かい合う鏡像のように円月殺法をふるう愛染と狂四郎。燃え上がる江戸の町を背景にして、映画美の本質を見せてくれる。画面の隅々まで研ぎ澄まされ、冴えわたる三隅美学の白眉……。

だが、三隅研次の遺作「狼よ落日を斬れ」を客もまばらな新宿の封切り館で見たのが、もう18年も前のこと。彼のようなストイックで端正な映像を作る監督なんて、もう絶滅したんだ。饒舌で自己満足にしかすぎない映像ばかりが垂れ流されている。(ビデオサロン92年3月号)




■かつて大映時代劇があった─森一生監督



2月下旬に衛星第二で一挙放映した「大菩薩峠」は、1部と2部が三隅研次、3部を森一生が監督している。三隅研次と森一生。大映時代劇を支えた職人監督である。

しかし、その映画のスタイルは微妙に違っている。三隅研次がキリリとした白刃のような端正な映像なら、森一生の映像はきびしい美しさをたたえながら、どこかに暗い情念のようなものを感じさせる。ストイックでありながら淫らさが存在する。「大菩薩峠」の3部では、暗い情念を感じさせる机龍之介になっていた。

森一生については、映画評論家の山根貞男さんと山田宏一さんがキネマ旬報誌上でロングインタビューを試み、それが「森一生 映画旅」として1冊にまとまった。その本が出版されて、しばらくして森監督は亡くなった。大映倒産以来、20年近くたってからようやく評価が高まった。遅すぎる。

森一生を語るときに、必ずあげられるのが「薄桜記」だ。原作は五味康祐。《はくおうき》と読んでほしい。映画は討ち入りに向かう堀部安兵衛(勝新太郎)の回想で始まる。この冒頭のシーンはいかにもスタジオ撮影という感じだが、ヒッチコックの映画がスタジオ撮影を感じさせながら「凄い」と思わせるのに似て、昔の時代劇映画の技術力を見せてくれる。雪が絶え間なく降っているのだが、この雪も見事。人工の雪なのにシンシンと降るという感じがよく出ている。

同じくスタジオ撮影での名場面は、橋の上での決闘。雷蔵が演じる主人公・丹下典膳が同門の武士たち5人と斬り合う。夕暮れ時の真っ赤な背景は人工的であり、そのことがよりこの映画の美しさを際立たせる。ライティングとカメラワークに注目。

ラスト、片腕になり片脚も撃たれた丹下典膳は、戸板の上に寝かされ寺の庭に運ばれて多数の敵とデスペレートな闘いを続ける。降りしきる雪。それを俯瞰を中心としたカメラワークで見せるのだが、とにかく雷蔵が美しい。美しいと形容できる時代劇役者は雷蔵をおいて他にない。「薄桜記」を見ずして時代劇を語るな。 (ビデオサロン92年4月号)




■マーチン・スコセッシ監督はテクニシャンである



今年の正月のこと、マーチン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の「ケープ・フィアー」を見た帰りに、駅で転んで怪我をした。思わず「デ・ニーロの祟りじゃー」と叫んだほど、あの映画は怖かった。本当にスコセッシは映画のテクニシャンだと思う。僕は、どんなジャンル(?)であれテクニシャンは好きである。

スコセッシとデ・ニーロは「タクシー・ドライバー」「レイジング・ブル」と傑作ばかりを作る黄金コンビだ。今月は、その黄金コンビの「ニューヨーク・ニューヨーク」と「グッドフェローズ」がある。「グッドフェローズ」は、マフィアに憧れた少年がチンピラからファミリーの一員になり……というストーリー。主人公(レイ・リオッタ)の兄貴分をデ・ニーロ、仲間をジョー・ペシが演じる。特に発作的に人を殺すジョー・ペシの役は印象に残り、案の定、昨年のアカデミー助演男優賞を獲得した。

さて、この映画でもスコセッシのテクニシャンぶりは凄い。手持ちカメラを多用した移動撮影が見事で、特に、主人公と恋人が路上からナイトクラブの裏口へ入り調理場を抜けステージの前まで歩く長い長いワンカットは必見。これこそ映画的コーフン。テクニシャンは、どんなジャンルにおいても人をコーフンさせるのです。

ストーリー構成上でテクニシャンぶりを発揮して面白いのは、小説でいうところの視点の移動。主人公のナレーションで始まった映画は、あるシーンで一瞬にして主人公が結婚することになる女性のナレーションに移る。その後、このふたりを軸に自由に視点が移動し、最後にアッと驚く仕掛けがある。ラストで初めて、なぜナレーションを使ったかがわかるのだ。

ゴダールの映画を例外として、ナレーションを使うということは、セリフや演技で表現できない部分を補うために説明過多になりやすい。下手な映画は登場人物の気持ちを「私は悲しい」などと平気でナレーションで説明する。映画なら映像で表現しろ、である。しかし、この映画だけはナレーションなしでは成立しない。(ビデオサロン92年5月号)




■偉大なるジョン・ヒューストン監督へのオマージュ



ボギーことハンフリー・ボガートが1951年に「アフリカの女王」でアカデミー主演男優賞を受賞したとき「ベルギー領コンゴからパンテージ劇場の舞台までは長い道のりだった」と挨拶したのは有名なエピソードだが、アフリカロケは相当にハードだったようだ。

この映画の監督はジョン・ヒューストン。先頃公開になった「アダムス・ファミリー」の怪女優アンジェリカ・ヒューストンの父親であり、名優ウォルター・ヒューストンの息子でもある。自らも何本かの映画に出演しているが、ロマン・ポランスキー監督「チャイナタウン」での黒幕役が印象的だ。しかし、ジョン・ヒューストンは遺作になった「ザ・デッド」完成直前の1987年8月28日に死んでしまった。81才だった。男ならこんな人生を送ってみたいと、誰でも一度は思わされるような自由奔放な生涯だった。

クリント・イーストウッドが監督主演した「ホワイトハンター・ブラックハート」の主人公、映画監督ジョン・ウィルソンは「アフリカの女王」をクランクインする前のジョン・ヒューストンをモデルにしている。だが、トリュフォー監督の「アメリカの夜」のように映画作りの舞台裏を見せるわけではない。ここでは、ジョン・ヒューストンという狂気に満ちた個性が、アフリカで象を撃つことに憑かれた物語が語られる。

ロケ隊を引き連れてアフリカにいきながら、象を仕留めるまではキャメラを回さない、と彼は宣言する。まさに白人のハンターは黒い心に取り憑かれる。まるで、ヒューストンが監督した「白鯨」のエイハブ船長のように。

この映画でイーストウッドは、ヒューストン監督にオマージュを捧げている。ひたすら自らをヒューストンに似せようとしているのがわかる。アクションスターだということが災いしてか、監督としてのイーストウッドの評価は不当だ。だが、この映画でアカデミー監督賞をもらっても不思議はない。ジョン・ヒューストンはボギー主演「黄金」でそれを受賞しているのだけれども。(ビデオサロン92年6月号)




■「BTF3」「荒野の用心棒」「用心棒」を続けて見よう



ロバート・ゼメキスは「抱きしめたい」で監督デビューしたりして、けっこう年が近いかなと思っていたが、調べたら1952年生まれで僕とはひとつ違いだった。そうすると、やっぱりあのエンニオ・モリコーネのテーマ曲にワクワクしながら「荒野の用心棒」を見にいったクチだろうか。

中学生の頃、ハヤカワ・ミステリマガジンを買っていたのだが、大伴昌司さんが映画評を書いていて、66年3月号(オタクだね)での「荒野の用心棒」の紹介が未だに記憶に残っている。日本公開は66年の春先ということになる。地方都市に住んでいた僕が見たのは、もう少し後だと思う。この映画は大ヒットして、マカロニウェスタンの先駆けとなり、クリント・イーストウッドもスターになった。

その「荒野の用心棒」が盗作だと知ったのも大伴さんの映画紹介でだった。もっとも黒沢プロが抗議して、全世界の配給収入の15%を受け取るなどの条件で和解したらしい。僕は後から黒沢の「用心棒」を見ることになった。いや、それどころか「椿三十郎」の方を先に見てしまったのだけれど。

今なら「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」→「荒野の用心棒」→「用心棒」というように遡る人がいるかもしれない。でも、「用心棒」のストーリーパターンは、ダシール・ハメットの小説「血の収穫」だから一体何が本家やら、ということになる。小林信彦さんの指摘では、「用心棒」の元ネタはダシール・ハメットの短編「町の名はコークスクルー」らしい。

黒沢版「用心棒」の見どころは、三船の居合斬りvs仲代の拳銃だ。日本刀で銃にどう勝つか、というのがラストの対決を盛り上げる。そのための伏線も周到に張ってあり、「刺身にしてやる」という三船のセリフにニヤリとする。それを、そっくりそのままイーストウッドがマネしても、拳銃vs拳銃の西部劇ではうまくいかない。しかし、さすが才人セルジオ・レオーネ監督、ここだけはオリジナルアイデアを生かす。このアイデアが26年後にマーティ・マクフライの命を救うのである。(ビデオサロン92年7月号)




■たまに映画美術などに注目すると通の気分になれる



映画は総合芸術なのだそうだ。いろいろなパートのスタッフが集まって、ひとつの映画が出来上がる。最近の映画はスタッフ・キャストを延々とクレジットタイトルで出すから、やたらに時間がかかるけど、じっくり見てみると意外な発見があって面白い。

映画を作る人で、まず名前が挙がるのが監督。次に注目されるのが脚本(スクリーンプレイ)や撮影監督だろう。たとえば、撮影監督なら「ラストエンペラー」「シェルタリング・スカイ」や「ディック・トレイシー」などを撮ったビットリオ・ストラーロが有名だ。もうひとりは「ディア・ハンター」や「天国の門」のヴィルモス・ジグモンド。このふたりが撮影監督なら、画面の美しさだけは保証出来る。

ジグモンドがマイケル・チミノ監督と組んだ「ディア・ハンター」では、延々と続いた結婚式シーンの後の夜景が見事だったし、同じく「天国の門」では、アンバー(暖色系といおうか、油絵調といおうか)を基調とした画面作りで、微妙な光をとらえていた。

夜のシーンは撮影監督の腕の見せどころらしく、「ディック・トレイシー」でストラーロが撮った夜景もぞくぞくするシーンになっていた。ハリウッドの撮影のセオリーとして、夜のシーンは水を撒くということがある。ライトが映えて美しいのだ。

その「ディック・トレイシー」では、掘っ立て小屋で少年をいじめる悪漢をやっつけたシーンの後、小屋からカメラがグングン引いてロングショットで街の全景になるのだが、その見事さは驚きだ。これは映画美術の仕事だろう。この映画は、コミックの人工的なカラーの世界をスクリーンに再現しようとして、美術には凝っている。

同じようにコミックの世界をスクリーンに定着させるために、美術に凝ったのが「バットマン」だ。こちらは、ゴッサムシティのセットの凄さにワクワクする。これが映画だ、と拍手したくなる。名前があまり出ない美術監督の仕事なのだけれど、そういうパートにも目を向けて映画を見ると通になった気分になれる。(ビデオサロン92年8月号)




■偉大なる様式美を確立した長谷川一夫を見る



最近の若いモンは形から入るそうだが、この人ほど形から入る役者は他にいなかった。足を×字型に交差させ半身に構えて十手を掲げ流し目で決める。ご存知、長谷川一夫の銭形平次、極め付きのポーズだ(拍手)。

スタニフラフスキー・システムなどという近代演劇理論が登場するまでは、芝居は形と約束事の世界だった。たとえば、着物の袖で顔を隠せば「泣いている」のである。最近の映画は、人物の内面をリアリズム演技で見せるアクターズ・スタジオ的なロバート・デ・ニーロみたいなのばかりが演技派と言われる。しかし、昔から大衆劇は違ったはずだ。

長谷川一夫は形を極め様式美を極め、そして長谷川一夫自身を極めた。その意味で、どんな映画にどんな役で出ても常に長谷川一夫だった。セリフ回し、息のつぎ方、身体の構え方、歩き方、下手人を追ってきてからの止まり方まで、すべてが形にはまっていた。見事な様式に充ちていた。片岡千恵蔵、市川歌右衛門がどんな映画に出ても同じであるように、大スターの時代の本物の大スターだった。

しかし、小学生の頃に見た長谷川一夫は気持ちが悪かった。男のくせに白塗りで、なよなよとしているように見えた。だが、中学生の時に見たTVシリーズ「半七捕物帳」で長谷川一夫の見事な様式に開眼し見惚れた。特に「泣き」の演技は素晴らしかった。娘の長谷川稀世がゲスト出演した回など今でもありありと思い出せる。「雪之丞変化」を最後に映画から離れTVに移った頃だったろうか。

そんな長谷川一夫が見られるという。「疵千両」は田中徳三監督の傑作と言われる武士道の悲劇物。森一生監督の「銭形平次捕物控・金色の狼」は全部で18本作られたシリーズの1本で、未見だが益田喜頓がガラッ八をやっているということだ。「青葉城の鬼」と「四谷怪談」は名匠・三隅研次の監督だし、「雪之丞変化」では市川昆監督の華麗なモダニズム溢れる映像テクニックが楽しめる。このプログラムを組んだ人は、なかなかの目利きではあるまいか、と今から期待している。(ビデオサロン92年9月号)




■映画と音楽は切っても切れない関係なんである



スクリーンで聴く歌は、どうしてあんなに印象に残るのだろう。スクリーンでしか聴けない渡哲也の「無頼」のテーマも「八月の濡れた砂」で流れる主題歌も一度聴いただけで覚えてしまったものだった(古い話だけどね)。そういえば、名曲「カスバの女」も「セーラー服と機関銃」の中で歌われた以上にせつない歌われ方はなかった。世代も経てきた人生も違うふたりの女(薬師丸ひろ子と風祭ゆき)がバーの扉を隔てて歌う「カスバの女」は見事に情感を表現していた。

さて、硬派監督アラン・パーカーの「愛と哀しみの旅路」である。イギリス人監督によって作られた純粋ハリウッド映画であるはずの作品なのに、タイトルバックから日本語の歌が流れる。戦前のヒット曲「雨に咲く花」だ。「およばぬことと諦めました……だけど恋しいあの人よ」という例のアレである(知らない人は知らないと思うが)。

この映画の中で「雨に咲く花」は何度も流れる。見終わってしばらくの間は、知らず知らずに口ずさんでしまうだろう。それほど印象的に、そして哀しく使われる。また、デニス・クエイド(昔、初めて見た時は、何だラビット関根じゃねぇかと思ったが、だんだんよくなってきて、この映画では渋さが光っている。それにしてもラビット関根はちょっと古いか)が日本の歌を歌うシーンも印象的だ。

ストーリーは、労働運動の闘士が日本人街で映画館を経営する日系人に映写技師として雇われ、そこの娘と愛し合い結婚するが、太平洋戦争で日系人たちは全員、収容所に強制的に入れられてしまうというものだ。社会派パーカーは日系人差別を告発しているのだろう。日系人の一家の戦争に翻弄される運命が哀しい。

映画と音楽は密接な関係にあるが、とりわけアラン・パーカーは音楽の使い方がうまい。「ダウンタウン物語」「フェーム」「ピンクフロイド/ザ・ムーン」そして最新作「コミットメンツ」など音楽映画も多い。この映画でも音楽が感傷的になりかけるギリギリのところで踏み止どまっている使い方のうまさに注目してほしい。(ビデオサロン92年10月号)




■巧妙なプロットと意外性で見せる犯罪映画の傑作



映画の中に現れるものは、すべて何らかの意味がある。小道具も主人公のコスチュームも、すべてが何かを表している……。

なーんて通ぶって、ディテールにこだわって映画を見ていると実はけっこう疲れる。映画は目の前を流れていくものだから、自分で止められない(ビデオは別)。したがって、何人かで同じ映画を見ても、「ねえ、どうしてあそこでアイスピックが写ったの」なんて聞くトンチンカンな人が必ずひとりくらいいて、「あれが犯人を暗示しているんじゃないか」なんて馬鹿にされたりする。

ところで、ドン・シーゲル監督の「突破口」は伏線とディテールを見逃すと面白さが半減してしまう映画だし、ストーリーを紹介すると、それだけで意外性がなくなるので、まったく何の予備知識を持たずに見てもらいたい。ただ、ワクワクするような期待感だけで向かえば、オオーッという展開の面白さ、プロットの巧妙さ、ワンシーンワンシーンの意外性に浸れるだろう。

しかし、そう煽るだけでは、この欄が埋まらない。そこで、注意すべきいくつかのシーンを紹介しておこう。まず、タイトルバック。原題は「チャーリー・バリック」といってウォルター・マッソー(ああ、主役がウォルター・マッソーだと書くことさえ、この映画の意外性を薄めてしまう。一体、どうすればいい?)の役名だが、その名前入りの飛行服が燃え上がるタイトルシーンは、うかうかと見過ごしてはいけない。

ファーストシークェンス。巧妙なメーキャップがチェックポイント(とだけ書いておく)。次に主人公がある建物に入るが、その後ろの窓辺に注意してほしい。この辺からワクワクしない人は、はっきりいってこの映画を見る資格はない(やさしくなれなければ生きていく資格はないのだとマーロウも言っている。関係ないけど)。

この映画、ドン・シーゲルがあの「ダーティハリー」の次に作った映画だが、いかにもシーゲルらしいB級傑作の風格を持っている。刑事映画で大ヒットを飛ばしても、やっぱりシーゲルには犯罪映画がよく似合う。ダーティハリーでの犯人役が強烈だったアンディ・ロビンソンがとってもかわいそうな役をやっているし、マッチョマンのジョー・ドン・ベイカー(最近では「ケープフィアー」の探偵役)ほど怖い殺し屋は見たことないし、ラストシークェンスの予想外のカーチェイス(とは言えないか?)も文字通りのドンデン返し(!)もワクワクものなのだ。(ビデオサロン92年11月号)




■映画は映画に対してオマージュを捧げ続けてきた



ブライアン・デ・パルマ監督は映像派と言われる。「虚栄のかがり火」のタイトルバックからファーストシーンへ続く10分間ほどを見れば、そのことは頷ける。ニューヨークの日中から夜景までコマ落としで撮影し数分間で見せるタイトルショット、ベロベロに酔っ払ったブルース・ウィリスが駐車場から廊下を抜けてパーティ会場のマイクの前に立つまでの長い長いワンカットのファーストシーンを見ているうちに、ぞくぞくする感覚が味わえる。これが映像だ! これが映画だ! という気分にもなれる。

しかし、とデ・パルマの映画を見るたびに僕は思う。その華麗な映像テクニックの向こうに、かつての偉大な監督や名作の影が見えるのだ。たとえば「アンタッチャブル」のシカゴ駅の階段シーンは、映画史上の名作「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段シーン(乳母車が落ちる!)を模倣したものだし、「殺しのドレス」は「サイコ」だし、「ボディ・ダブル」は「めまい」と「裏窓」だ。「殺しのドレス」では、サスペンスフルなシャワーシーンが何度も出てくるし、エレベーターの殺人シーンは「サイコ」のシャワーシーンを連想させる。

しかし、ともう一度、僕は思う。映画は常に模倣しながら進んできたんじゃねぇか。映画ファンが映画マニアになり、あんな映画を作りたいと熱望する。その熱望を持続したものが監督になる。だから、彼らは影響を受けた映画や監督にオマージュを捧げるように映画を作る。

たとえば、大森一樹監督。「恋する女たち」のラスト近く、断崖の上の少女たちをいきなり俯瞰でとらえ、ゆっくり回りながらカメラが離れていくショットは、間違いなく「冒険者たち」へのオマージュだ。ジョージ・ルーカスやスピルバーグ、ジョン・ミリアスたちは黒沢明監督の影響を受けたことを得意そうに公言する。

そう、彼ら映画監督は、それがかつてあった映画へのオマージュであると観客が気付いてくれることを、実は望んでいるのだ。そして、観客も(特に映画フリークになってしまった観客は)映画の中に先行する作品の面影を見付けると、嬉しくなってしまうというたわいなさである。

この夏、宮崎駿監督の映画的記憶に満ちたアニメ「紅の豚」の殴り合いシーンを見ながら、ジョン・フォードの「静かなる男」を思い出した。そして、もしかしたら、今年、「紅の豚」を見た少年のひとりが、二十年後には「紅の豚」にオマージュを捧げた映画を作るかもしれないと考えていた。

通ぶるわけではないが、映画の向こうにかつての映画の影響を見付けるというのも、映画を見る楽しみのひとつだと思う。(ビデオサロン92年12月号)




■ジョン・ヒューストン監督の正統的犯罪映画



毎年のことだけど、年末年始は見たい映画がいっぱいあって、どれを録画するか迷ってしまう。今年も衛星放送でいろいろな企画があってどれをおすすめするか迷っているのだが、WOWOWのVIVA CINEMAがやっぱり凄い。ハリウッド映画を中心に戦前の名作から最近作までを取り揃えている。その中で個人的趣味として選ぶなら、ジョン・ヒューストン監督作品の2本の犯罪映画がいい。『マルタの鷹』と『アスファルト・ジャングル』だ。

私立探偵サム・スペイドのクールな魅力で一躍ハンフリー・ボガートをスターにしたのが『マルタの鷹』だが、これはヒューストンにとっても監督デビュー作。ダシール・ハメットの原作を見事に映像化した。スペイド&アーチャー探偵事務所という窓に描かれた文字(もちろん英語です)が、鏡文字になって床に映っているファーストシーンから、依頼人の女が入ってくるまでのシークェンスで見事に私立探偵ハードボイルド・ストーリーのムードを作り出してしまう。半世紀前の映画とはとても思えない。ボギーのキャラクターはこの映画で固まったのだ。

もう一本の『アスファルト・ジャングル』は、新人の頃のマリリン・モンローが出演している(主演マリリン・モンローなどと表記するのはインチキだと思う)ということで話題になることが多いが、そんなこととは関係なく、最近はなくなってしまった犯罪映画の傑作である。犯罪の立案、実行、そして思わぬ計算違いによって失敗するかもしれないというサスペンス、仲間それぞれの思惑と裏切り、そして結末という犯罪映画のパターンを踏まえたうえで、ここでもヒューストンの力業は見事だ。

犯罪の計画・実行・結末という構成で見せる犯罪映画は、一時期流行したものだ。スタンリー・キューブリック監督の『現金に体を張れ』も、この映画の6年後に作られた。もっとも、僕は犯罪映画のパロディともいうべき『ホットロック』(ピーター・イエーツ監督/R・レッドフォード主演)も大好きなのだが………。(ビデオサロン93年1月号)




■脇役に注目して映画を見れば通の気分になれる



ベン・ジョンソンといえば、今では不運の百メートル走者の方が有名だが、僕にとってはサム・ペキンパー監督『ワイルドバンチ』のベン・ジョンソンしかいない。ウォーレン・オーツと組んだ無法者兄弟の役は、とても印象的だった。このふたりは、後にジョン・ミリアス監督の『デリンジャー』でデリンジャーとFBIの捜査指揮官として対決する。監督のサム・ペキンパーはベン・ジョンソンが気にいったのか、スティーブ・マックイーン主演の『ゲッタウェイ』などでも敵役にベン・ジョンソンを使っている。

ベン・ジョンソンは、ジョン・フォード一家である。49年の『黄色いリボン』を見ると若き日のベン・ジョンソンに会える。フォード一家には名優が多いが、その中で真面目な融通のきかない若い騎兵隊士官といった役を演じている。若い時は、さすがにハンサムだ。

ベン・ジョンソンは息の長い脇役として活躍した人だが、一本、主演と呼べるのがジョン・フォードが監督した小品『幌馬車』である。86分という短い映画だが、これはこれでフォード西部劇として楽しめるものだ。しかし、ベン・ジョンソン自身は長く「顔は知られていたが、無名同然」という脇役時代を過ごすことになる。

その無名な脇役が一躍脚光を浴びた作品がピーター・ヴォグダノビッチ監督の『ラスト・ショー』だ。テキサスの田舎町に住む少年たちの青春の終わりを、映画館の閉館(原題はラスト・ピクチャーショウ)に重ね合わせて描いたせつない名作だが、その中で最後の西部男サム・ザ・ライオン(ライオンのサム)を演じ、彼は少年たちに人生を教えた。その役で初めてアカデミー助演男優賞を獲得したのだ。ざまーみろ、なのである。

こうした渋い脇役は僕の好みで、主演だけでなく脇役で映画を見にいくようになると、通になった気分だ。だから、今回は、おすすめの渋い俳優が見られる映画を5本選んでみた。未見のものもあり、映画の出来自体はわからないと無責任に前置きして、必見の脇役を紹介しておきます。
1「黄昏のチャイナタウン」ハーベイ・カイテルを見よう
2「新選組始末記」城健三郎(若山富三郎)と天知茂を見よう
3「美しき諍い女」仏ならミッシュル・ピッコリを見よう
4「暗くなるまで待って」このアラン・アーキンは怖い
5「ザ・イメージ」英ならアルバート・フィニー、未見 (ビデオサロン93年2月号)




■たまには映画史上の名作を見て勉強してみよう



映画のハードが発明されたように映像のソフトも発明された、と言うとちょっと誤解を招くかもしれないけど、やっぱり最初にクローズアップを使った人は、その手法を発見したのだと僕は思う。ちなみにクローズアップという手法を作ったのはD・W・グリフィス監督だという。「イントレランス」ではAのカットとBのカットを交互に見せてサスペンスを盛り上げるカットバックという手法を作り出したと言われている。

そんな映画史上の画期的な作品はいろいろあるが、現在でもハリウッドの投票によって史上ベストワンに輝くのがオーソン・ウェルズが弱冠25才で発表した処女作である「市民ケーン」だ。もう亡くなったのだけれど、英会話のヒゲおじさんで有名になってしまった。さて、この映画は映画としてよくできていると同時に、全編パンフォーカスという手法で描かれたことによって、史上最も重要な映画になった。

新聞王ハーストをモデルにしたといわれるこの映画は、ある富豪の死から始まり、彼が死に際に残した「バラのつぼみ」という言葉の謎を追って彼の過去を探り、ひとりの権力者の人生を描いたものだが、ほとんどのシーンが手前から奥にかけての画面構成になっている。たとえば、手前に大きく薬瓶とグラス、その向こうにベッドがあり自殺を図った女、奥にそれを発見するケーンという構図が、すべてシャープに写っている。

これは広角レンズを使って絞りを絞り込むことによって可能だが、フィルム感度が低い時代に(何と1941年)パンフォーカスを使ったのは驚異だ。この映画の分析は現在でもアメリカでは盛んで「あの画面は手前のケーンと奥のジョセフ・コットンは合成だと判明した」などという記事を読んだことがある。

しかし、単なる映像テクニックだけだったら史上ベストワンになるわけはない。そのドラマ作りの緊密さ、ある男の一生を描くという普遍的なテーマ、子供時代への追憶……、半世紀も前の映画だが、見事の一語に尽きる。(ビデオサロン93年3月号)




■雪の今戸橋にローアングルでミカンが転がる名場面



WOWOWに入っていてよかったと本当に思った。何しろ加藤泰監督の緋牡丹博徒シリーズが、それもシリーズ中の最高作『お竜参上』が放映されるのだ。これに勝る喜びはない。

18歳の頃の僕にとって加藤泰と鈴木清順は神様だった。『三代目襲名』と『東京流れ者』は映画少年には、あまりに強烈な映像体験だったのだ。やがて、加藤泰監督は『緋牡丹博徒シリーズ』で藤純子を、この世の者ではない美しさに描く。僕は娘を純子と名付けようとしてカミさんの妨害に合い引き下がったが、そのことを今でも悔やんでいる。

そんなことは、まあ、どうでもいいことだが、初めて神様にインタビューした時は足が震えた。加藤泰監督といえばローアングルと長回し。そのことを中心にインタビューしたが、こちらが「ローアングル」と言うと、監督は「ローポジション」と答える。なるほど映画を監督する身にとっては「ローポジション」なのだと妙なことで感心した。

そのローポジションのキャメラは様々な名シーンを作り出した。最も有名なのは『お竜参上』の雪の今戸橋でのお竜と渡世人・青山(菅原文太)の別れだ。ローアングルの橋、欄干、真っ白に降り積もる雪、去って行く青山、列車で食べてくれとお竜はミカンを差し出す。手からこぼれて雪の中に転がるミカン……、その色彩、その映像美、その情緒。日本映画の最も良質なスピリッツがそこにはある。昔も今も、その時の矢野竜子ほど美しい女に僕は出会ったことがない。

さて『花札勝負』と『お竜参上』は話が続いているので、必ずこの順で見てほして。また、ローアングルや長回しというテクニックを見るのもいいが、その様式化された映像美とせつない男女の情愛を見てほしい。「ヤクザ映画でも時代劇でも、いつも男と女を描いてます」と監督は京都弁で語ってくれたものだった。

最後にお会いしたのは亡くなる2年ほど前だったろうか。日仏会館での「加藤泰上映会」の楽屋だった。10年も前のことだ。(ビデオサロン93年4月号)







■序説の快楽 十河進




●タイトル剽窃論序説



またしても北野たけし監督の「キッズ・リターン」の評判がいい。事故後の「みーんなやってるか!」は無視された形だったが、「ソナチネ」は確かイギリスのBBCが選ぶ「世界の映画100本」に選ばれたはずだ。聾唖者のカップルを主人公にした「あの夏、いちばん静かな海」もすこぶる評価は高い。

たけしは「評論家に評判よくても全然客が入らない。日本の映画評論家って何だ」と、一時、映画評論家に八つ当たりしたが、相変わらず評論家受けはいい。日本版「カイエ・デ・シネマ」の創刊号に長文の「北野たけし論」が掲載されたりする世の中である。

僕は正直言うと彼の映画はあまり好きではない。観客が入らないのはよくわかる。たけしの映画には毒というか、悪意がいっぱいで見ていて居心地が悪くなる。北野たけしは徹底的なニヒリストなのではないかと思う。

一般の観客にとって北野たけしの映画は不親切である。説明をしない。言葉で語らず映像で語る。山田洋次の寅さんシリーズとは対極にある。だから、「どうしてああなるの」と一緒に見た人間に聞きたくなる場面ばかりが続く。確かに才能は認めるが、北野たけしの映画は人には勧めない。

北野たけしの最初の映画は「その男、凶暴につき」(1989年)である。その予告編を見た時に、「いいのかな、完全な剽窃だぞ」と思った。創元推理文庫で昔から出ていたジェームス・ハドリー・チェイスの小説のタイトルだったからだ。

僕はチェイスのタイトルがけっこう好きで「世界を俺のポケットに」とか「貧乏くじは君が引く」なんてタイトルは忘れられない。しかし、今では一般的には北野たけしの映画の方が知られることになってしまった。

チェイスの小説は今ではあまり読む人はいないのかもしれないが、まだ最新版の創元の出版カタログには出ているから絶版ではない。平気で映画のタイトルに流用してしまうのは、いいのだろうか。もちろん、一般的な言い回しのタイトルなら納得できるのだが、「その男、凶暴につき」は警察の内部通達での決まり文句らしいとはいえ、オリジナリティを感じるタイトルだと思う。

昔、五木寛之が「幻の女」や「裸の街」という小説を出した時にも同じことを感じた。「幻の女」は今でもオールタイムベストテンで1位になったりする海外ミステリの名作だし、「裸の街」(1948年/ジュールス・ダッシン監督)はドキュメンタリータッチで描く刑事映画の名作だ。そういえば、同じ頃に「アスファルト・ジャングル」というテレビドラマがあり、そのタイトルにも同じ思いを持った。

新人の頃のマリリン・モンローが情婦役で出ているからということで語られることが多いが、「アスファルト・ジャングル」(1950年)はジョン・ヒューストン監督の犯罪映画の名作だ。宝石店強奪を計画するプロの犯罪者たちの実行とその後の破滅を描いたオーソドックスなハリウッド製フィルム・ノアールである。

しかし、30年ほど前に放映された「アスファルト・ジャングル」は、権力悪を描いた社会派サスペンスドラマだった。「悪魔のような素敵な奴」で人気が出た高城丈二が出ていたが、確か吉田義夫がクズ屋だかで政治的な陰謀に巻き込まれて冤罪で捕まり、その真相を追うのが高城丈二だったと思う。原作は、五味川純平。あの「人間の條件」の作者である。

「人間の條件」(1959年)は全6部・10時間弱の上映時間を誇る小林正樹監督の代表作だ。目玉を剥いて大仰な演技をする仲代達矢が主演である。まだこの頃はそんなに眼は剥かなかった。しかし、五味川さん、オリジナルのタイトルを付けるのがよほど苦手だったのか、「人間の條件」もフランスの作家アンドレ・マルローの「人間の条件」からとっている。

僕の会社では写真集シリーズを出しているが、社交ダンスの写真が持ち込まれ出版することになった。そこで思いついたのが「Shall we dance?」。しかし、さすがに今年一番の邦画の話題作のタイトルはまずいかと、顧問弁護士に相談したところ「映画の写真集と思われる恐れがあると訴えられる可能性がある」と言われ、その案は引っ込めた。もっとも、映画の「Shall we ダンス?」だって、ヒットミュージカル「王様と私」の曲のタイトルを借用しているわけだ。

結局、写真集は「dance・ダンス・dance」というタイトルで発売した。「ダンス・ダンス・ダンス」はビーチボーイズが歌ってヒットした曲で、村上春樹が小説のタイトルに使っている。ビーチボーイズの「ダンス・ダンス・ダンス」は1964年の11月にアメリカン・ヒットチャートで8位になっている。古き良き時代。ブライアン、デニス、カールのウイルソン3兄弟にアル・ジャーディンとマイク・ラブ。あんな素晴らしいハーモニーは、今は聞けない。

村上春樹は曲のタイトルをよく借用する。「中国行きのスロウ・ボート」はソニー・ロリンズで有名な曲だし、ベストセラーになった「ノルウェイの森」はビートルズの曲のタイトルだし、「国境の南」はナット・キング・コールの歌が有名だろう。

ただし、小説家が音楽や映画にインスパイアされて小説を書き始めることがあるのは、よくわかる。村上龍は、スタンダードナンバーばかりをタイトルにした短編集を出しているし、映画からインスパイアされた短編集もある。映画のタイトルそのままを使ったものは、林真理子にも「ローマの休日」なんてのがあったはずだ。

片岡義男にはアメリカン・ポップスが似合うが、やっぱり「ボビーに首ったけ」という小説を書いている。それらは、みんな元の曲や映画にオマージュを捧げているので、剽窃とは言えない。タイトルを借用したことを明らかにしているのだから。

しかし、映画輸入会社が安易につける邦題には、時々、盗作といってよいほどのひどいものがある。そんな中で、とても有名な話だが、心暖まるエピソードをひとつ。

昔、「Never on Sunday」(1960年/ジュールス・ダッシン監督)という映画を輸入した配給会社の宣伝部員たちは、どうタイトルを付けたらいいか、連日の会議になった。なかなか決まらない。月曜から始めて土曜日の夜になっても決まらない。週明けからポスターの手配や雑誌へのパブリシティも始めなければならないのにいいタイトルが出ない。業を煮やした宣伝部長は「明日も出勤して会議の続きだ」と怒鳴った。

それを聞いたデートの約束があった新人の宣伝部員は「日曜はダメよ」と答えたという。
チャンチャン。(みんな、知ってますよね)

本当言うと、眼に余るほどパクリのタイトルを使うのは最近のテレビドラマである。「家なき子」は許せるにしても「人間・失格」はないと思う。クレームが付いて「・」を入れたらしい。「いとこ同志」(わざわざ映画と同じように「同士」ではなく「同志」にしている)や「若者のすべて」など、映画ファンならみんな知ってる名作のタイトルをそのままパクるのは、いかにも品性下劣なテレビ屋のやりそうなことだ。

「愛していると言ってくれ」は、豊川悦史と常盤貴子の主演で評判になったようだが、これも30年ばかり前にハヤカワ・ノヴェルズで出ていた小説のタイトルだ。内容も肉体的ハンディキャップを負った男女の話だった。

でも、テレビ屋どものやることにいちいち目くじらをたてていたら大変だ。ほとんどのドラマがタイトルだけじゃなく、設定やストーリーがヒットした映画などのパクリであることに、たまに早く帰った夜に半端に見るシーンだけで気付いてしまうのだから、やっぱり最近のテレビドラマについては無視するしかない。

向田邦子も早坂暁も山田太一も市川森一も、そして「北の国から」以来鼻につくようになったとはいえ倉本聰も、今はほとんど番組覧で名前を見ない。向田は仕方ないにしても、彼らのドラマをもっと見たい。そういえば、倉本も「たとえば、愛」などという87分署シリーズのタイトルを借用したドラマを書いていたなあ。古き懐かしき時代。

1996/8/17

□その後、テレビドラマのタイトルのパクリは相変わらず。新番組に切り替わると、必ず何本かはそういうのがある。明石屋さんまの「甘い生活。」というのは「。」で「甘い生活は終わり」を表しているという。これなどは洒落た方だろう。
□「ソナチネ」「キッズ・リターン」はよくできた映画でした。(1999/11/27)




●「愚痴とぼやき」比較論序説



愚痴=仏教語で、三毒のひとつ。愚かで真理に対して無知であること。ものの非理がわからないこと/言ってもしかたがないことを言っては嘆くこと。泣き言。
ぼやく=ぶつぶつと不平を言う。

「ダイ・ハード」(1988年)が初めて日本で試写された時、まったく新しいタイプの、そして迫力にあふれた「泣けるアクション映画」として玄人筋が騒いだものである。映画雑誌はこぞって話題にし、提灯を持ち、公開前からかなり期待が高まった。そうした中で「新しさの要素のひとつは、ぼやいてばかりいる主人公」という評があった。事件に巻き込まれて孤軍奮闘せざるをえなくなった普通の人間が主人公であることが、アクション映画のヒーローとして新鮮だというのだ。

確かに、ジョン・マックレーンは自分が刑事だから仕方なく……という感じで闘いを始める。それも、極めて個人的な理由「妻が人質になった」からである。深読みすれば、彼が闘うことを決意する理由は、夫であり父親であることを証明するためである。キャリアウーマンの妻とはニューヨークとロスに別れて別居中(日本企業で妻は旧姓を名乗っている)で、彼は夫としてがんばらざるを得ない状況なのだ。

この設定はパート2までは引き継がれ、2では妻の乗った飛行機が墜落するのを防ぐために、つまり「パート1の事件をきっかけに再び愛し合うようになった妻の命を救う」という極めて私的な理由で、彼は超人的な闘いを完遂させるのである。パート3がつまらないのは、この設定を外したためである。彼が闘わざるを得ないのは、犯人が指名したからという理由だけである。したがって、彼が闘うことに私的な切実さがなくなってしまった。

逆に、事件に巻き込まれたサミュエル・L・ジャクソンの方には、黒人の子供(甥?)たちを救うという個人的理由が設定される。そして、ダイ・ハード3では、「ぼやき役」はサミュエル・L・ジャクソンが担っている。大ヒットした1作目のファクターを取り入れるために、スーパーマン化してしまったジョン・マックレーンとは別に、事件に巻き込まれ奮闘するフツーの人を登場させる必要があったからだろう。3作目のサミュエル・L・ジャクソンは、肌の色は違うが1作目のジョン・マックレーンであり、同時に1作目の黒人警官の役割も果たしている。

「フツーの人」を強調するために、作者たちが設定したキャラクターの特徴は「ぼやく」ことである。ジョン・マックレーンは、第一作目のファーストシーンからぼやいている。飛行機が嫌いなのだ(隣席の男から裸足になってリラックスする方法を教えてもらい、それが伏線になる。ほとんど一日中靴を履いているアメリカ人は、日本人と違って裸足で戦わなければならないことに生理的な恐怖を覚えるのだと思う。銃弾で飛び散ったガラス片の上を裸足で走り抜けるマックレーン刑事を見て、目を背けるアメリカ人の観客は多かったのじゃないだろうか)。

妻の仕事部屋の奥にあるバスルーム(本人はしがない刑事、妻は日本企業の幹部社員として成功していることを見せつける場面)に入って裸足になり足の指をほぐしている時に、テロリストたちが襲ってくる。その時のマックレーンは、本当に「どうしよう。困った」という感じである。これが、スタローンやシュワちゃんだったら「俺のスーパーマンぶりを発揮できるチャンス」とばかりに、待ってました的な笑みを浮かべてしまうところだが、フツーの人ブルース・ウィリスは泣きそうな顔になる。テレビシリーズの主役をやっていた程度のブルース・ウィリスを抜擢したキャスティングの勝利だ。

フツーの人はぼやく。苛酷な状況の中で「なんでこんなことに………」とか、「どうして俺が……」とか、「こんなところを降りるのか」などと言いながら超高層ビルのエレベーターホールを伝い降りる。そんなフツーの人には励ましてくれる友人が必要だ。そこで登場するキャラクターが誤って子供を射殺して以来、拳銃が抜けなくなった過去の傷を持つ黒人警官である(彼のトラウマの設定が、決めシーンで拳銃を抜かせるための複線であることは、すれた観客である僕には読めてしまい、泣くべきシーンで泣けなかった)。

「なんで俺が……」と1作目のマックレーンもパート3のサミュエル・L・ジャクソンもぼやく。ぼやきの基本は「なんで俺が……」である。

僕は「ぼやきのソゴー」と自ら称することがある。ぼやきをスプリングボードにしているつもりであるし、それなりに様々なこと(かなりきつい状況もあった)をきちんとやってきたという自負もあって、半分はシャレのつもりで、半分は「俺のぼやきは自分に対する叱咤激励であって気にしないでくれ」というメッセージのつもりなのだが、人の受け取り方は様々で、いろいろな反応がある(まあ、他人から見れば単にぼやいている奴にしか見えない)。

僕も他人のぼやきなどは聞きたくないが、人は自分がぼやいていることには気がつかないらしい。会社の若い者の多くがパソコンに向かいながらブツブツ言っている。ほとんどが、ぼやきである。しかし、「今、ぼやいていたよ」と言っても本人は否定する。つまり、フツーの人は無自覚にぼやいているのだ。人間の常として、自分のぼやきには無自覚だが他人のぼやきには敏感である。「ダイ・ハード」のシナリオライターがヒーローをフツーの人に設定するために、ぼやきを採用したのは正しかったのである。

さて、ここまでの文章の「ぼやき」を「愚痴」に置き換えて、読んでみてください。どんな感じになりますか。何だか、情けなくなりませんか。

一度、ある若い者にぼやきと愚痴を一緒にされたことがある。「ぼやきと愚痴は違うよ」と反論したが、彼に通じたかどうかはわからない。ぼやきは認めるが、愚痴は嫌いである。

ハリウッド映画に登場した愚痴っぽいキャラクターは「エイリアン2」で宇宙海兵隊員を演じたビル・パクストン(最近は「ツイスター」や「シンプル・プラン」で主演しているが)である。エイリアンに襲われて多くの仲間を失って以後、彼は泣き言ばかり言っていて、見ていて腹が立ってくる。挙げ句には「こんな小さな子が生き延びたのよ、大の大人が泣き言ばかり言ってるんじゃない」とリプリーに叱られてしまう。

彼の愚痴が腹立たしいのは、まったく生産的かつ前向き(前向きの愚痴ってあるか?)ではないからだ。襲撃を逃れて生き残った者たちだけで迎えの宇宙艇を待っていて、それが爆発し母艦に帰れなくなった後、「悪夢だ、悪夢だ。どうするんだ。これから」と伍長のマイケル・ビーンを責める。マイナスのことばかりを言って自分では考えず、他人を責める(たとえば、人の企画を否定ばかりして、自分では何のプランも示さない。「どうするんだ、次号は」と責めるだけ)。こういう人、けっこういますよね。

愚痴は非生産的だが、ぼやきは前へ進むための生産的エネルギーだと僕は差別化している。ぼやくためには、精神的余裕がなければならない。ぼやき漫才「責任者出てこ〜い」の人生幸朗を「愚痴漫才」とは言わない。「ぼやき」には精神的余裕を背景にしたユーモアと可笑しみ(つまり自己批評、ぼやく自分を笑いのネタにする批評性)があるが、「愚痴」には現状を嘆くだけの悲惨さしかない。

愚痴とぼやきは、あくまで違うものなのである。若い者は、その辺がわかっていない。僕は、ブツブツぼやきながら、いつの間にか何かを仕上げてしまう人に美学と親しみを感じる。健さんのように無言で物事を完遂させる方が日本人的美学ではあると思うのだが、フツーの人はぼやくことによってパワーを出すのだ(と思う)。

ぼやき、と言えば野村監督である。がんばれ、野村。来年は優勝だ(ホントかね)。

1999/9/23




●「いきどきのマルクス」論序説



しまった! 初歩的な勘違いをしてしまった。今年の乱歩賞受賞作「八月のマルクス」(講談社)をカール・マルクスだと思っていたのだが、書評を読むとマルクス兄弟であるらしい。いまどきマルクスを出してくるなんて硬派のミステリだなあ……と呆れながらも感心していたのに、何だか裏切られた気分だ。

朝日新聞の書評では「マルクス兄弟を出してくるのなら小林信彦の評論くらい読んでおくべきだろう」などと書かれていたから、それを読んでいないことがバレるようなレベルなのだろうか。元お笑い芸人が失踪した相棒を捜すハードボイルド、というから読みたいような読みたくないような……。

失踪人を捜すのは、ハードボイルド小説の王道だ。マーロウもリュウ・アーチャー(早川文庫)も人を捜してばかりいた。

さて、カール・マルクスとマルクス兄弟を間違えるというのは、ギャグにもならない。その恥ずかしいギャグを使っていたのが山田洋次監督の「キネマの天地」だ。アカの容疑で特高警察に捕まった助監督の青年の部屋を刑事が調べる。本棚でマルクス兄弟の本を見つけて「やっぱりマルクスを読んでやがる」と言う。笑うに笑えない。

マルクス兄弟を一般に知らしめた功績は小林信彦にある。彼の喜劇に関する評論や「オヨヨ大統領シリーズ」(昔は角川文庫で出ていた)で、グルーチョやハーポなどのマルクス兄弟はビデオのない時代なのにビジュアルで伝わった。グルーチョ・マルクスを知らなくても、ブラシのような鼻髭を生やし、丸メガネをかけたパーマ頭の男は知っているだろう。それがドリフターズの髭ダンスを生んだ。

ということで、マルクス兄弟の話をするのかと思った方、すいませんが、今回はカール・マルクスの方の話です。

マルクス・エンゲルス全集は、昔は古本屋の華だった。マル・エンと縮めて言っていた。これはマルクスとエンゲルスというふたりの人間のことだ。マルクスはだらしない人だったらしいが、エンゲルスが補佐をした。マルクスが女中(差別語?)を妊娠させたときに話をつけたのはエンゲルスだった。マル・エン全集は、今でも大月書店から出ているのだろうか。

マルクスと言えば「資本論」だが、あれをきちんとすべて読み通した人はどれくらいいるのだろう。経済学部の学生だって通読しているのだろうか。恥ずかしながら僕も読んだことはないし、手に取ったことさえない。マルクスで読んだのは「賃労働と資本」(岩波文庫)だけである。

高校生の頃、世情は騒然としていた。東大の安田砦が陥落し、紛争は各地に起こり、大学から高校へと飛び火した。日本のウェストコーストと呼ばれた(?)瀬戸内沿岸も例外ではなかった。香川大学にも少数の三派系全学連が出現した。彼らは高校生をオルグして、自分たちの下宿で勉強会を開催した。

僕は高校の友達に誘われて、その勉強会に参加した。テキストとして「賃労働と資本」を読むのである。「賃労働と資本」の厚さは村上春樹の「風の歌を聴け」(講談社文庫)より薄いくらいだから、文字面を読むだけならすぐに読める。ただ、内容を理解しながらとなると、一日2〜3ページがいいところだ。いや〜、大変でしたね。

しかし、あれから30年が過ぎ、ソビエト連邦は今はなく経済最優先でロシアン・マフィアがはびこり、ベルリンの壁は崩壊しドイツは統一されたもののネオ・ナチが台頭し、中華人民共和国は天安門事件を起こしながらも開放経済政策を採っている。人民の国、北朝鮮は飢えに苦しみ、キューバのカストロに昔日の人気はない。今や、共産主義は敗北したと資本主義者たちは勝ち誇る。

かつてアメリカのマチズム信奉者たちは「コミュニスト・イズ・ギャング」を合い言葉にアカの驚異をセンセーショナルに煽り、その手先となったマイク・ハマーはコミュニストたちを殺しまくった。探偵マイク・ハマー(早川文庫)にはまだ騎士道があったが、品性下劣なマッカーシー上院議員は国家権力を背景にして芸術家たちを脅迫し、本人の身分保障を餌に共産党員の友を売らせた。卑劣な行為である。

かつて禁酒法を成立させた国であり、現在はヒステリックなほどのタバコ追放の国であり、湾岸戦争の国民支持率が90パーセントになる国である。国全体が極端に走る性癖を持つアメリカは、アカ狩りにおいてもその本質を露呈した。怖いのはそれを正義だと思いこんでいることだ。「ティファニーで朝食を」(新潮文庫)の妖精のような高級娼婦ホリー・ゴライトリーでさえ、「あの嫌なアカ」とコミュニズムを嫌悪した。

チャップリンはヨーロッパへ逃げ、ジョセフ・ロージーは二度とハリウッドでは映画が撮れなかった。ドルトン・トランボは別名で仕事をし、ダシィール・ハメットは証言を拒んで獄につながれた。友を売って逃れたエリア・カザンは、半世紀近くたった1999年、アカデミー名誉賞を受賞しながらも会場からブーイングの嵐を受けた。

自由主義と言い換えただけのアメリカの徹底した資本主義は、現在、世界へ自らの経済モデルを押しつけようとしている。正義だと思いこんでいる価値観を強制する。アメリカに追随することでしか国際社会に参加できない日本は、経済自由化、経済のグローバル化をめざして、利潤追求最優先のアメリカ型資本主義を推進している。

アメリカにおいて企業とは投資家の金儲けの道具でしかない。特にコンピュータ産業などベンチャー系の会社は狙われる。たとえば将来性有望なソフトを小さな会社が開発したとする。投資家たちはその会社に投資し、どんどん成長させ株式上場させる。その時に創業者利益(キャピタルゲイン)を獲得し、用のなくなった会社を売りに出す。そして、次の獲物を探すのだ。

同じことが日本でも起きつつある。人々の雇用を産み出す(生活の基盤を保障する)社会的存在であることを自覚すべき企業が私利私欲の利潤追求に走り、なりふりかまわず「リストラ」という和製英語に置き換えただけの「人減らし合理化」に走る。企業の利潤を優先し、中高年の自殺者の数が史上最高という事態を作り出す。

今や横河電機のような「企業は働く者のためにある。生涯設計ができるように終身雇用は守る」などという経営者は、絶滅寸前の朱鷺のような存在だ。そんな考え方が合わなかったのか、外資系の企業との資本関係を解消したらしい。

そんな中、ひとりのマルクス主義者が立ち上がった。経済書・ビジネス書の棚を見て欲しい。青木雄二の本が目立っているはずだ。「浪速のマルキスト」と呼ばれる青木雄二は、様々な職業を経てマンガ「ナニワ金融道」(講談社?)をヒットさせた後、引退し今は講演と文筆で過ごしている(らしい)。

もう1年以上前になるが、朝日新聞で連載していたコラムを待ちかねて読んでいた。青木雄二の本は「金と女」とか「儲け方」とか帯に書かれていて、ナニワ金融道風のイラストが描かれているので、えげつなさそうに見えるが、立派な経済理論に裏打ちされたマルクスを理解するためのサブテキストである。

まさにマルクス理論そのものズバリのタイトル「唯物論」(徳間文庫)という本も出した。「金と女を手にする方法」を謳い文句にした本の最後に、彼は「この高度に発達した資本主義社会の後には共産主義社会がやってくることを信じている」と書く。筋金入りである。

彼が登場するまでは、月刊NAVI(二玄社)の鈴木正文編集長がドン・キホーテ的マルキストの役を担っていた。しかし、いくら編集長でも自動車雑誌でマルクスを特集するわけにはいかない(「フランス車でパリを走る」という内容の特集で5月革命を懐かしんではいたが)。

彼は自らのエッセイ集を「○まるくす×」(エンスー文庫/二玄社)と題して出版し、矢作俊彦をして「スズキさんの休息と遍歴」(新潮文庫)を書かしめた。警察官僚の宣伝マン佐々淳行の「東大落城」(文春文庫)の書評においては、自ら安田砦の中にいた経歴を明らかにして批判した。エッセイではソビエト連邦崩壊後の状況を語った後、「おあいにくさま、共産主義者はいま嬉々としているのだよ」と高らかに宣言した。

こんな時代に、こんなマルキストたちがいるのは心強い。

青木雄二は、マンガが当たる前にはデザイン事務所を経営しており、そこでの経験をかなり具体的に書いている。デザイン事務所経営の指南書としても読めるかもしれません。

1999/10/4




●4文字言語考現学序説



書くのもはばかられますが、今回は例の4文字言葉(フォー・レター・ワーズ)についてです。不愉快になる、あるいは読んでから怒りそうな人は読まないでください(と予め断っておきます)。

不思議に思っていることがある。なぜ、英語ではFuckが罵りの言葉になるのだろう。ある特定の状況下において、女性に卑語を囁いて場を盛り上げるのは、安手のポルノグラフィの常套手段だが、日本では相手を罵る場合にあまり卑語は使わない。しかし、今やハリウッド映画は「ファック・ユー」の花盛りだ。「マザー・ファッカー」もよく使われる。日本で「××××野郎」と口にするには、かなりの勇気がいる。

アメリカでもっと日常的に使われているらしいのが、Fuckingである。たとえば、コンピュータがフリーズしたときなど「ファッキン・コンピュータ!」(このくそったれのいまいましいコンピュータめ!)と普通の若い女性が言っているらしい。ファックの進行形で形容詞として使用し、あらゆる固有名詞の前につけることができる罵り言葉である。

「ファック」がいつから映画の中で解禁になったのかわからないが、もう30年以上前のような気がする。ハリウッド映画は規制が厳しくて不倫や犯罪を肯定するような描き方はできなかったし、セックスシーンあるいは同性愛などを描けなかった。

「ハリウッド・バビロン」などと言われ退廃の都の代名詞だったのに、ハリウッドはスターの不倫には不寛容だった。夫と子供を捨ててロベルト・ロッセリーニ監督の元に走り、イザベラ・ロッセリーニを生んだイングリッド・バーグマンなど、ハリウッド復帰までに10年近くかかっている。

アメリカは、基本的にはピューリタンの国なのだ。だから禁酒法などが通ってしまう。しかし、極端に走る国だから、「表現の自由」となるとポルノグラフィも全面解禁になる。セックスシーンを見せつける表現の自由、を保障する自由の国なのだ。やれやれ、ですね(見ない自由も保障しているというかもしれないけど、あれば見ちゃうよね)。

さて、それまでのハリウッドの規制を打ち破ったのは、60年代後半に始まったニューシネマ(「俺たちに明日はない」が最初とされる)とするのが定説だ。「ファック」もその頃から映画の中で使われ始めたのだろうか。同じ頃に性革命が起こり、ヒッピームーブメントが盛んになりフラワーチルドレンなどが登場したから、社会全体の変革がハリウッドの規制自体をなくしてしまったのかもしれない。

心理学者で和光大学教授の岸田秀センセーの著作を僕は20年来愛読しているが、近著に「性的唯幻論序説」(文春新書)があり、その中に次のような記述がある。

「性解放は、まず、セックスや性的な事柄に対するいろいろなタブーを打ち破る方向へと進んだようである。〜中略〜性解放の最先端を行ったのは、かつて禁酒法を制定したことからもわかるように、伝統や因習といったものがないので、観念や理念で突っ走ることができるアメリカ人であった」

「ファック」が解禁されるまでは「サノバビッチ」とか「シット」(フランス語で「メルド」、日本語で「くそ」)などが使われていた。最近は「ファック・ユー」以外には「アス・ホール」とか「キス・マイ・アス」(コマワリくんポーズを決めて尻を突き出すとわかりやすい)とか、とにかく汚い言葉ばかりだ。とても僕には訳せません。興味ある人は「ass hole」と「kiss my ass」を辞書で調べてみてください。

20年以上前にアメリカでポルノ・ムービー・オブ・ザ・イヤーに輝いた「私に汚い言葉を言って」(Talk to Me Dirty Wordsだったと思う)という映画があった(何でそんな映画まで覚えているのだ!)。アメリカ人は本来的に汚い言葉が好きなのだろうか、それとも汚い言葉でコーフンするのだろうか、と当時考えた記憶がある。

エリザベス・テイラーは日常生活では言葉が汚いので有名だった。頻繁に「ファック」を口にしたという。しかし、彼女が初めて映画の中でその言葉を使ったのは、おそらく「バージニア・ウルフなんかこわくない」(1966年)だと思う。夫婦が罵り合うこの舞台劇で、リズはアカデミー主演女優賞を獲得した。

今や人気者のアンディ・ガルシアが悪役をやった映画「800万の死にざま」(1986年)で、ガルシアはほとんど「ファック・ユー」しかしゃべらない。そのトーンとイントネーションと言葉の強弱だけで、その場その場の感情を感じさせるのだから、もしかしたら名優なのかもしれないが、ひどいシナリオだと思ったものだ。

「ターミネーター」(1984年)でシュワちゃんがアパートの部屋で自分で修理していると、隣の男がドアを叩いて文句を言う。その時、ターミネーターの見た目の画面になり、ピピピピと音がしながら「この場合の正しい反応…ファック・ユー」と文字が出る。やおらシュワちゃんは「ファック・ユー」と言う。

「ターミネーター2」(1991年)では、悪ガキのファーロングがシュワちゃんにスラングを教えるシーンがある。「ノープロブレム・オール(no problem all)」とか「アスタラビスタ・ベイビー(hasta la vista baby)」とか「ブルシット(bull shit)」といった言葉だ。それがひとつの伏線になる。

「ファック」という言葉が現実にはいつ頃から使われていたのかはわからないが、ジョン・ブアマン監督の「戦場の小さな天使たち」(1989年・イギリス)という映画の中で主人公の少年が「ファック」と言い、子供たちが凍り付く場面があった。当時は、かなりのショックを受ける言葉だったのだろう。時代設定は第二次大戦中のイギリスで、ドイツ軍の空爆を受けていた頃だ。

しかし、紳士の国イギリスにおいても状況は変わったのだろうか、1994年のイギリスの現在を背景にした「フォー・ウェディング」の中では男も女も「ファック」を連発する。結婚式に遅れそうになって目覚めた男女が時計を見て「ファック」、結婚式で食べ物を落として「ファック」……と実にファックの大安売りである。もっとも、人気のイギリス俳優ヒュー・グラントは繊細かつ上品に(?)「ファック」と囁くのではあるが。

さて、「ファック」は行為を示す言葉なのだろうか。その場所を示す言葉は昔から「プッシー」(子猫)が有名だ。僕がその言葉の意味を知ったのは60年代半ばに公開された「何かいいことないか子猫チャン」という映画によってである。トム・ジョーンズが「プッシーキャット、プッシーキャット、アイ・ラブ・ユー」と歌う主題歌がヒットした。プッシーキャットにそういう意味があるのだ、ということを知らないとタイトル「ファッツ・ニュー・プッシーキャット」の面白さ(?)はわからない。

日本人は恥の種族である。罵り言葉も「くそ」「ちきしょう」「この野郎」「あほ」「ばか」くらいしか日常的には使わない。(もっと罵り言葉のボキャブラリー豊富な人、いますか?)

「永遠も半ばを過ぎて」という映画は中島らも原作で、写植オペレーターが主人公という面白い話だが、鈴木保奈美演じるアル中ぎみの編集者が「クソ食らえ」と言った相手をたしなめて、「そんな汚い言葉を使ってはいけません。ウンコ召し上がれ、といいましょう」というセリフがあり、我が家ではしばらく流行した。相手を罵りたくなったときには「ウンコ召し上がれ」というのである。(一体、どういう家族だ!)

罵りも馬鹿丁寧に言えばギャグになる。試しに、30年前にはやった「くそくらえ節」のリフレインの部分を丁寧語にしてみよう。(1969年の森崎東監督デビュー作「喜劇・女は度胸」の中で若き倍賞美津子がこの歌をいきいきと歌っており、僕も時々思い出して深夜の帰宅途中で歌ったりしている。ご近所のみなさん、ごめんなさい)

くそくらえったら、死んじまえ!
ウンコ召し上がれったら、死んでおしまいなさいませ!

印象がだいぶ違うと思いませんか?

1999/10/7




●「見果てぬ夢」論序説



ハリウッド映画を見ていると、わりあい頻繁に「Dream Come True」という言葉が使われるのに気付いた。

昔から使われていたのかもしれないが、気になるようになったのは、例のミュージックトリオが登場して以来、その名前が頭に残っているからだろう。「夢が本当になる=夢が実現する」と訳すのが近いのだろうが、「夢は叶う」と僕は訳している。

夢、という言葉は安易に使われている気がしないでもないが、未だにどこかロマンチックな気分を醸し出す。また、「夢を持っている」ことが免罪符に使われたり、口説き文句に使われたりすることもある。

少し前のことだが、ドイツだったかで子供が本物の電車を運転して事故を起こした。怪我人が出なかったこともあったのだろうが、「将来は電車の運転手」というその子の夢も一緒に紹介されており、その記事はどちらかといえば好意的に書かれていた。

しかし、これが単なるいたずらだったら、受け取られ方は違ったはずだ。ここには「電車の運転手になるのが夢」である子供がやったことだから……という免罪の効果が働いている。

こんなシチュエーションもよく使われる。たとえば、売れないロック・ミュージシャンの恋人を親に紹介した娘と両親の話し合い。

父「あんなカッコして、ふらふらしているような奴は駄目だ」
娘「彼には、いつか六本木にライブハウスを持つという大きな夢があるのよ…」
母「あの年で、そんなきちんとした夢を持っているなんて感心じゃないですか」
父「夢だけじゃ食えないんだぞ」
母「でも、目標のない人よりいいと思いますけど」
娘「そうよ、私は彼の夢の実現のために一緒にがんばるわ」

最近の父親は「父さんみたいに夢をなくした人にはわからないのよ」などと娘に言われるのを恐れて、腰が引けている。「夢があるのよ」というのは、葵の印籠ほど効き目はないかもしれないが、それに近いものになっている。

それまで嫌っていた男が自分の夢を語り、それをきっかけにしてヒロインが惹かれ始めるという設定はドラマなどでもよく使われるシチュエーションだ。

ここには、夢を持つ人=純粋な人、という無前提的かつ無批判な定理が存在し、たとえば、パンク兄ちゃんのようなカッコをして登場してきた人物が「夢を語る」ことで、見かけとは違う純粋な人だったのだと見直されるという通俗的パターンが成立する。(これは、見かけで判断する方が悪いと思うけど)

したがって「あなたの夢は?」と聞かれて、すぐに答えられない人、「ないなぁ」などと答える人は、ちゃんとした目標のない人、無気力な人、日々を無目的に流されている人という烙印をおされ、先程の父親のように「夢を持っている若者」を認めない人などは、現実的な人、打算的な人、夢が理解できない俗物として否定される。

「夢を持つ」ことが奨励され、そのことの価値が高まったのは戦後の民主教育の結果だと思う。個性を伸ばす、夢を持たせる、そのことは管理教育に対するアンチテーゼとして提唱され、妙に過大評価されている。(教育とは一定の標準的型にはめることだから、個性を伸ばすこととは概念矛盾を起こすと思うが)

しかし、どんな境遇にいても「夢を失わないこと」は、昔から日本人の琴線に触れる部分であるのかもしれない。どんな境遇に堕ちたとしても……「俺には夢がある」のである。

高倉健は「唐獅子牡丹」の中で「やがて〜夜明けのくるそれまでは〜意地で支える夢ひとつ」と歌い、渡哲也は「東京流れ者」の中で「夢はいらない〜花ならば〜花は散ろうし夢も散る」と歌う。哲也が「夢はいらない」と歌うのは、夢を持っているからだ。「どうせ俺の夢なんて叶うわきゃないんだ」という自嘲なのである。「散る夢ならいらねぇや」という強がりなのである。

若者たちは安易に夢を語る。それが彼らの特権だとは思う。夢が叶う可能性は、まだまだ彼らにはあるのだ。夢が叶わないのだと知りながら、「いつかよう」と夢を捨てきれないで生きていく切なさを理解するためには、長い長い年月を経なければならないのかもしれない。

夢が叶わないことを確信しながら夢を持ち続けること、夢を捨てきれないこと、そのことの切なさに昔から共感してきた。苦い現実を知りながら、「そんなことあるはずねぇ」と思い知らされながら、それでも夢を持ち続けること、「俺には夢がある」とつぶやきながら現実に負けまいとする人々に僕は共感してきた。

渡哲也の人斬り五郎シリーズ2作目「大幹部・無頼」(1968年・日活)のセリフ。「俺はやくざだ。それも銭で雇われたど汚ねぇやくざだ。〜中略〜だがな、いつかよう、どっかでなんかが起こってよ、まともな暮らしに戻れねぇもんでもねぇ。そんなことを空頼みにしている。そんなことあるもんかよ、そう思っちまったら人間おしめえだよ」

やくざな境遇に堕ちても、いつか堅気になる夢を捨てない藤川五郎は素敵だ、と僕はいつ見てもこのシーンで涙ぐむ。このセリフを書いたのはシナリオライターの池上金男、現在、時代小説家として活躍している池宮彰一郎である。

もうひとつ、中村錦之助の「関の弥太っぺ」(1963年・東映)からのセリフ。「この娑婆にゃあ、悲しいこと辛えことがたくさんある。だが、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃ、明日になる」

ここにも、苦い現実認識を持ちながら、それでも諦めずに「何か」を求めている、見果てぬ夢を見ているひとりのやくざがいる。

そう、「見果てぬ夢」である。この言葉を知ったのは中学生の時だった。誰のレコードかは忘れたが、曲のタイトルだった。1965年にブロードウェイで初演された「ラ・マンチャの男」のテーマ曲である。セルバンテスと彼が書いたドン・キホーテの物語が交錯するミュージカル。1972年にピーター・オトゥールとソフィア・ローレン主演で映画化された。

「見果てぬ夢」を追い続けて死んでいったドン・キホーテ。しかし、「見果てぬ夢」の原題が「The Impossible Dream」だと知った中学生は、複雑な気持ちになった。「不可能な夢」と直訳すると、「見果てぬ夢」という言葉が持つニュアンスはまったくなくなる。

「見果てぬ夢」は「不可能な夢=実現しない夢」ではない。「叶うことはないかもしれないが見続けないではいられない夢」なのだと思う。この「見続けないではいられない」ということが、人間に与えられた業なのだ。

僕は「夢が実現しないのなら、夢を見る能力なんて欲しくなかった」と思ったことがある。だが、不幸なことに、人間には見果てぬ夢を見続ける能力が与えられてしまったのである。

「夢を捨てきれない悲しみ」を思うとき、思い出す小説がある。中島敦の「山月記」(1942年)だ。詩人となる志を立てた李徴は、志を得られないまま屈辱と貧窮の中で狂し、虎となって友を襲う。その虎の告白には「夢を見ずにはいられない」人間の悲しみが溢れている。

1999/10/31






■邦画の快楽 十河進




●酒井和歌子派と内藤洋子派の対立は本当にあったのか



サントリー角瓶のCMに酒井和歌子が出ている。このCMのプランナーは1956年生まれで、今年40歳。ニューオールドの「恋は遠い日の花火ではない」シリーズも担当しているロマンチストというかセンチメンタリストというか、まあ、困った人である。

しかし、1956年生まれというのは、酒井和歌子の世代なのだろうか。酒井和歌子の初主演映画は恩地日出夫監督の「めぐりあい」で、これは昭和43年3月27日に封切りになった。ということは、彼は中学生になりかかった頃。あこがれの女優だった可能性はある。

CMに登場するタレントなんて、けっこうプランナーの個人的な思い入れがあるもので、酒井和歌子の起用はそういう要素が強いとにらんでいる。ちなみに、昭和43年3月28日から東大全共闘が安田講堂を占拠した。3月30日からは日本テレビでアニメ「巨人の星」の放映が始まった。そういう時代だったのだ。

春休み時期を狙って公開された「めぐりあい」は、どちらかといえば併映作品だった。メインは当時、直木賞をとったばかりの新進作家だった五木寛之のデビュー作を加山雄三主演で映画化した「さらばモスクワ愚連隊」だった。「めぐりあい」はレコードのB面的な扱いだったと思う。それでも、酒井和歌子人気はかなり盛り上がっていたから、東宝としても期待はしていたはずだ。

酒井和歌子の人気が出たのはそれより1、2年前からだったと思う。風邪薬(確かベンザだったと記憶している)のコマーシャルにミニスカートで登場してきた。あの子は誰だ、と僕は思った。その当時、かわいい女の子がテレビに登場するとたびだび、あの子はだれたと思ったものだが、酒井和歌子の場合は、けっこうきた。恥ずかしながら月刊ボーイズライフに載ったピンナップ用のグラビアは、今でも探せばどこかにあるはずだ。

ところで、酒井和歌子のライバルといえば、内藤洋子。喜多嶋舞のお母さんだ。黒沢明の「赤ひげ」で映画デビューし数々の青春映画に主演しながら、1971年、20歳でランチャーズのメンバーだった喜多嶋隆と結婚し海外へ去った伝説のアイドルである。山口百恵が21歳で引退と騒がれたが、内藤洋子の方は20歳である。

アイドル女優からうまく本格派女優へなれなかったこともあったのかもしれないが、さっさと未練もなくやめてしまった感じであった。結婚して若いうちにやめてしまった女優に、黛敏郎と結婚した桂木洋子などもいるのだが、そういう存在はけっこうファンにとっては後を引くらしくて、戦後世代のアイドルは桂木洋子だし、団塊世代のアイドルは内藤洋子であり、新人類世代のアイドルは山口百恵なのである。

文春文庫「女優ベスト150」によると、1位=久我美子 2位=高峰秀子 3位=吉永小百合 4位=原節子 5位=桂木洋子となっていて、内藤洋子は27位、酒井和歌子は39位だ。桜田淳子が山口百恵に勝てなかったように、酒井和歌子も内藤洋子には絶対に勝てなかった。

歌に関しても内藤洋子は危ういながらも「白馬のルンナ」をとりあえずヒットさせたのだが、酒井和歌子はあまりの下手さにひとりで歌わせることができず、男とのデュエットでレコードデビューした。相手は江夏なにがしといったが、夕介という名前だったような気がするのは、夏夕介と混同しているのだろうか。

しかし、ファンというのは怖ろしい。僕は未だにその歌が歌えるのである。「ペーヴメントに雨が降る。白く冷たい雨が降る。愛しているよ。今はそれだけ」と江夏が歌うと「愛していてね。今はそれだけ」と酒井和歌子が歌う。

内藤洋子は、昭和25年5月28日生まれ。少女時代からモデルとして活躍。黒沢明の目にとまり「赤ひげ」で映画デビュー。昭和41年、テレビの「氷点」の洋子役で人気を博し、トップアイドルであった証拠に「伊豆の踊子」に主演している。「

伊豆の踊子」は田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵しか映画化していないのである。悲しいことに酒井和歌子は、この映画で脇役をつとめている。格が違うという感じがする。

そう、内藤洋子派と酒井和歌子派の対立というものはなかったのだ。酒井和歌子は女優になり、内藤洋子は永遠のアイドルになった。そもそも同じ土俵にはいない。だから、「あこがれ」で初主演を張ったにもかかわらず、その年の秋には「兄貴の恋人」で内藤洋子主演映画の脇に回るのである(もっとも、この映画のポスターでは加山雄三を真ん中にして酒井と内藤が左右から同じ大きさで配置されていて、人気者3人の共演という売りになっていたが)。

酒井和歌子は昭和24年4月15日生まれ。やはり子供時代から劇団に在籍し子役やモデルとして活躍する。中学3年生の時に東宝にスカウトされて入社。「めぐりあい」で黒沢年男とのコンビを成立させ、藤田まことが初めてシリアスな演技で主演した小林正樹監督作品「日本の青春」や「俺たちの荒野」などに出演。いつまでも学生でいられなくなった若大将がサラリーマンになってから、トウがたってしまった星由里子に代わってヒロイン役をつとめた。未だにその頃のイメージを保っているのはさすがである。

話を戻そう。「めぐりあい」である。監督の恩地日出夫は団令子を主演にして新しいヒロイン像を創り続けていたが、内藤洋子の「あこがれ」「伊豆の踊り子」と青春路線に移り、到達したのが「めぐりあい」だ。その後、恩地監督はテレビタレントみたいなこともやったりしたが、吉展ちゃん事件のノンフィクション「誘拐」を泉谷しげる主演で2時間のテレビドラマにした時にまた傑作を創ってしまった。

「めぐりあい」は、川崎あたりの工場の街が舞台である。自動車工場の工員である黒沢年男が、部品の卸問屋に勤める酒井和歌子と出会う。青年は家庭的にも鬱屈し、毎日の仕事にも閉塞感を持っている。ふたりは好意を持ちつきあうが、少女は彼の荒れた精神を癒すことができない。いろいろな出来事があった後、ラスト、少女は遊園地の案内係に転職して彼を待ち続けていることを暗示して終わる。と書いても、さっぱりわからないだろうけど、時代の閉塞感を反映させたみごとな青春映画であり、純愛映画だった。

印象的なシーンがある。少女を海へデートに誘い出すことに成功した青年は車を借りられず、結局、手配できたダンプカーに乗って海へ行く。その後、白い水着姿を酒井和歌子は披露してくれるのだが、カメラが青年の視点になって磯に寝そべる彼女の肢体をじっくりと映し出す。衝動に駆られた青年が、身を重ねようとするのを彼女は拒否する。次のショット。土砂降りの雨の中を走るダンプカーの荷台に酒井和歌子が乗っているのだ。

運転席と荷台で言い争うふたり。青年はダンプカーを止めて、荷台を斜めに上げてしまう。ずり落ちそうになる和歌子。怒鳴りあいながら、やがてふたりは土砂降りの雨の中、荷台で抱き合い初めて唇を重ねる。今も脳裏に焼き付いて離れないシーンである。

あれから、28年。今も酒井和歌子を見て胸が騒ぐのは、あのダンプカーのラブシーンが甦るからだ。「めぐりあい」は封切りで一回、その後、テレビのカット版で一回見ただけなのに、鮮明に残っている。

テープで発売されていたようだが、内藤洋子の映画は派手に宣伝したくせに、酒井和歌子の映画はいつ発売されたのかはっきりしない。レンタルビデオ屋でも見かけたことがない。こういう映画はなぜかLDで出してくれない東宝である。岡本喜八の映画や恩地日出夫の映画をLDで出してもらいたいとつくづく思う。

ちなみに「めぐりあい」のテーマ曲は荒木一郎が歌っている。「めぐりあえる、その日までは」というところまでのメロディは出てくるが、恩地ならぬ音痴であり酒井和歌子の歌よりもっとひどい僕としては、人前では歌わないようにしているのだけれど、時々、気がつくと口ずさんでいる。困ったものです。

その後、酒井和歌子が印象的な作品というと、神代辰巳が監督したテレビの2時間ドラマがよかった。タイトルは忘れたが、原作はウィリアム・アイリッシュの「暗闇へのワルツ」だ。アイリッシュの作品をよく映画化したフランソワ・トリュフォー監督がジャン・ポール・ベルモンドとカトリーヌ・ドヌーブ主演で1969年に創った「暗くなるまでこの恋を」と同じ原作である。

神代監督がトリュフォー版を気にしなかったわけはないと思うが、主演が愛川励也ではどうしょうもない。悪女と知りながら美しい女にのめり込み破滅していく男の話だ。悪女役の酒井和歌子は、ドヌーブよりよかったというと身びいきにすぎるだろうか。

1996/5/4

□1999年に恩地日出夫の回想録「砧撮影所とぼくの青春」(文芸春秋)が出た。「めぐりあい」については、あまりページが割かれていないが、とにかく好評ではあったらしい。(1999/11/26)




●岸田森は吸血鬼が似合う日本で唯一の怪優だった



岸田森は岸田今日子の従兄弟である。ということは、岸田国士の甥ということだろうか。岸田今日子と岸田森が共演した名作は、もちろんあの「傷だらけの天使」だ。辰巳役の岸田森は、ひたすら岸田今日子扮する探偵事務所の女所長に尽くす。最終回、彼は所長のために犠牲になるほど彼女を愛していたのだとわかる。

この辰巳役は、どんどん儲け役になり、ショーケン・水谷豊とのアドリブのような掛け合いが回を経るごとにエスカレートしていった。ちょうど実相寺昭雄監督のATG映画「あさき夢みし」(1974年)で法皇役とかけもちだった時には頭を剃ったのを幸い、窮地に陥ったふたりをかばい、いきなりカツラを取って詫びを入れるアドリブで共演者たちの度肝を抜いた。

当時の岸田森のヘアスタイルは特徴的だったから、まったくそれと同じカツラをしているとは予想もしていなかった。テレビを見ていた僕も驚いたが、岸田森の背中側からややローアングル気味に撮影していたため、「これ、この通りお詫びを」と言いながらいきなりカツラを取った岸田の表情は見えないものの、共演者たちの一瞬呆然とした顔はよく見えた。

あれは、本当に共演者たちも知らなかったのではないだろうか。監督やキャメラマンは知っていたのだろうか。何となく、カメラも動揺したような感じがあった。

この回の監督は、工藤栄一のはずである。なぜなら、ショーケンと水谷が雨上がりの夜の道を歩いてくるのを斜め俯瞰で撮り、水たまりや塗れた路面にライトが映り、人物たちが逆光でシルエットになっているシーンがあったからだ。

このシーンは工藤栄一が監督した回(たぶん一番多く監督しているはずだ)では何度も出てきたから、もしかしたら違っているかも知れないが、確か、この回にも逆光シーンがあったと思う。工藤栄一は名作「十三人の刺客」(1963年)を作ったために「映像の刺客」などと呼ばれたが、逆光シーンを多用するので映像を見れば判断がつく。

「傷だらけの天使」の最終回は工藤栄一の監督で、ラストシーンの夢の島へショーケンが水谷豊の死体を捨てにいくところは逆光でシルエットになっていた。ちなみに、「十三人の刺客」の脚本は池上金男。後に池宮彰一郎というペンネームで「四十七人の刺客」を書き「十三人の刺客」で使った名セリフをそのまま使った。

さて、岸田森である。僕が初めてこの俳優を知ったのは、島倉千代子の「この世の花」という昼メロである。ヒロインが好きになる二枚目を演じた。この頃、悠木千帆の夫だと知り驚いた記憶がある。

悠木千帆と言えば、その頃放映されていた「七人の孫」のお手伝いさん役の不美人で、二枚目役の岸田森と夫婦というのが想像できなかった。小学生の僕は二枚目俳優の奥さんは美人女優であるべきだと、単純に信じていたのである。しかし、悠木千帆は、どんどん個性派の女優として活躍を始め、岸田と別れて内田裕也と結婚し樹木希林と改名した。

思えば、岸田も悠木と別れてからどんどん個性派になり、演技もむちゃくちゃになったような気がする。テレビ「怪奇大作戦」(1968年)の頃の岸田森は、まだかっこいい役だったのだが、やはり転機は東宝映画「血を吸う眼」(1971年・山本迪夫監督)なのだろうか。この後、同じ山本監督で「血を吸う薔薇」(1974年)が作られる。どちらも、本格的な吸血鬼映画で、岸田森は吸血鬼を演じた。そして、クリストファー・リーに匹敵する名吸血鬼俳優になった。

岡本喜八監督は、自伝的映画「肉弾」では自分に似た寺田農を起用したが、いつも自分に似た俳優を使うのが好きで岡本組の常連としては天本英世が有名だ。岸田森もやせて骨格が岡本監督に似ているのか、やはり岡本組の常連で、僕は「斬る」(1968年・東宝)の彼が大好きだ。

山本周五郎の「砦山の十七人」が原作で、ある藩のお家騒動に巻き込まれた元武士の股旅者(仲代達也)と百姓上がりの浪人(高橋悦史)の話である。大映の市川雷蔵主演「斬る」(1962年・三隅研次監督)とは何の関係もない。その映画で、岸田森は剣客として登場し、騒動に巻き込まれ心ならずも砦山に立てこもった若侍たちのところへ斬り込み死んでいく悲劇的な役だった。立派な剣客の風格で、本当にかっこよかった。

しかし、年代をたどると、やはり1970年代に入ってから、今も残る怪優のイメージが成立したのだとわかる。転機は間違いなく「血を吸う眼」である。あの怖い映画のポスターを僕は覚えている。1974年にはNHK「天下堂々」で鳥居耀造を演じ、この辺になるともう完全に昔の二枚目のイメージはなくなった。それから1984年に亡くなるまでの10年間、岸田森の怪演ぶりは留まるところを知らなかった。

岡本喜八監督の「ダイナマイトどんどん」(1978年)は、終戦直後の占領時代の北九州が舞台で、やくざ同士の喧嘩沙汰が絶えないため、警察の肝煎りで野球大会で喧嘩の決着をつけることになる話である。

昔気質のやくざの組の菅原文太と新興やくざの組に助っ人として入る元甲子園出場の経歴を持つやくざである北大路励也(指をつめているために魔球が投げられるという設定が笑える)の対立が軸になるが、白ずくめの格好で岸田森が登場する。要領のいいやくざの役なのだが、例によってオーバーな演技や表情で怪演する。この岸田森も忘れられない。

1996/7/7

□岡本喜八の「斬る」を再見した。やはり岸田森は可哀想な役だった。女郎に身を落としている妻の役を田村奈巳が演じていた。昔の東宝の女優さんです。(1999/11/26)




●自転車は民主主義の象徴だった



自転車は高価だった。
一家に一台あればいいほうで、それを家族全員で乗っていた。

昔の自転車はがっしりしていて、重かった。左右にまっすぐに伸び、グリップのところから手前に曲がり、子供の手では伸ばしきらないと握れないハンドル。ブレーキをかけるためには目一杯掌を広げてブレーキハンドルをつかみ、力一杯引き絞らなければならなかった。ブレーキの効きは悪いのに、キーキーと大きな音がした。

荷台は左右が30センチ、前後が40センチくらいあった。荷台のサイドには荷造り紐をかけるためのフックがいくつか等間隔に設置されており、大きな荷物も積めるようになっていた。ごつごつしていて、二人乗りするとお尻が痛かった。ペダルは重く、自重も重いからちょっとした坂道を登るのも大仕事だった。

タイヤは太かったが、よくパンクをした。パンクをすると自転車屋まで押していき、パンク修理をじっと見ていた。タイヤを外すおじさんの手際の良さに感心した。水戸黄門をやるずっと前の東野英治郎みたいな自転車屋のおじさんは、チューブを取り出し空気を入れ、水につけてパンクした箇所を探す。パンク箇所が見つかるとゴム板を適当な大きさに切り、強力な接着剤を塗って貼り付ける。膝当てをしたズボンみたいになったチューブを戻して、タイヤをかぶせて終わりだった。

早朝は商用自転車(?)の天下だった。新聞配達と牛乳配達だ。オート三輪やダイハツ・ミゼットが配達所に荷を降ろし、仕分けをすると一斉に自転車が散っていく。いったい何本入っていたのだろう、みんな自転車の荷台にいっぱい牛乳瓶を積んでいたものだ。あれで坂道を毎日登ったりしていたから、今で言えば競輪学校の生徒並の訓練になっていたはずだ。

昔の自転車は、サドルとペダルとハンドルの中心は逆三角形の鉄のパイプで結ばれ、天辺は水平にハンドルの中心からサドルの部分まで伸びていた(今でもそうだけど)。その自転車に小さな体の子供が乗るのは、まず無理だった。乗るときに高い天辺が邪魔をして自転車をまたげないし、乗れたとしても足が届かなかった。

それでも子供たちは大人用の自転車に乗っていた。
どうやっていたかって? 三角乗り、である。

サドルとペダルとハンドルの中心部で作り出された逆三角形ゾーンの空間に、自転車の左側から右足を突っ込み向こう側のペダルに足を乗せ、左足をこちら側のペダルに乗せる。そうして、自転車を向こう側斜め30度から40度に倒してバランスをとり、ペダルをこぐ。

もちろん、ペダルを360度回転させるのは無理だ。ペダルを真上から前方へ90度ほどこいだら逆の足で再び真上に戻し、また同じ動作を繰り返す。こいで戻し、こいで戻し、こいで戻し……、だからあまり速くは進めない。

断っておくが、僕は右利きなのでこういう乗り方をしていた。左利きの人は、もしかしたら逆なのかもしれない。今でも、たまに自転車に逆の側から乗ると、慣れないので変だ。

三角乗り、と呼ばれるようになったのは、たぶん、その状態を正面から見たからだろう。斜めに傾いた自転車に人間も斜めに傾いて乗っている図になる。何だか北京雑伎団みたいだが、あちらはひとつの自転車に10人くらい乗ったりする。それに、あくまで自転車は直立し、人間が斜め左右45度に扇状に広がっているだけだ。三角乗り、という生活の知恵(?)とは発想および目的とするところが根本的に異なる。

スタジオ・ジブリの「となりのトトロ」(1988年)は、郷愁に満ちたアニメーションだが、その中に三角乗りが登場する。メイが入院中のお母さんに会いに行こうとして迷子になり、姉のサツキを始め村人たちが探し回る。その時のシーンだと思うが、隣家の少年が自転車の三角乗りでサツキに何かを知らせにやってくる(まったくの記憶で書いたので違うシーンだったかもしれない)。

「となりのトトロ」は細部にこだわったアニメーションで、この三角乗りのように「ああ、そうだったよなあ」と些末なこと(?)をありありと思い出させてくれる実証主義的作品である。僕の文章で三角乗りがイメージできなかった人は、ぜひ「となりのトトロ」を見てください。

さて、こんなことを書くと、いったい何歳なのか、と思われるかもしれないが、戦後の解放感と民主主義を象徴する乗り物は自転車だと思う。それは昭和30年代(純情の時代)まで続いていた。

戦後の解放感をイメージさせるのは「青い山脈」(1949年・東宝)が印象に残っているからだろう。すべての事件が片づいた後、主人公たちは銀輪(!)を連ねて高原へサイクリングに行く。「青い山脈」が作った自転車=解放&民主主義というイメージは、昭和30年代の吉永小百合まで引き継がれる。

昭和30年代、高校生たちは自転車を連ねてデートしていた。学校が終わると、男女数人で裏山に自転車で登り、遠く海を見ながら舟木一夫の学園ソングを歌ったりしていた。「言葉は尽きても〜去りかねた〜」のである。恥ずかしい。民主主義と正義が信じられていた、純潔がまだ最高の価値を持っていた純愛の時代のことだ。

自動車に乗るのは、金持ちの資本家で貧民を虐げる悪役だった。貧しくとも正しい者は、みんな自転車に乗った。お父さんたちは自転車に乗って工場に通い、労働組合に結集した。優等生の娘(吉永小百合的存在)は、自転車で新聞配達をしながら高校に通い、日曜には銀輪に太陽の光を反射させながら高原を恋人と走った。

そして、いたずら盛りの小学生の弟たちは、三角乗りをしていた。小学生の中にも「自転車に乗ると、女は気持ちがいいんだぞ」などと言う輩がいたが、純真な少年たちは無視をした。そんなことを言う奴は、女子だけではなく自転車をも侮辱しているのだと憤慨したものである。それに三角乗りでは、気持ちはよくならない。

自転車に乗るときに足を荷台側へ大きく跳ね上げてダイナミックに乗るのを「男乗り」と言った。足を体の内側から抜いて、サドルの前をまたぐ乗り方を「女乗り」と言った。たまたま「女乗り」をしたところを悪ガキ共に見られると、翌日から学校でからかわれた。

それって、今なら性差別じゃないか?

1999/8/26




●強く、誇り高いヒロインたち



増村保造という映画監督がいた。1986年11月23日に62歳で死んだ。

同じ日、東京池袋のサンシャイン60で、60階までの階段204段を登る競争が行われ、170人が参加した。また、竜ヶ崎市の商店街では市民約5000人が集まり1時間あまりをかけて、長さ約1500メートルの海苔巻き寿司を作っていた。

1986年11月23日は、もしかしたら一般市民が「俺たちも何か記録を残そう」と燃えた日だったのかもしれない。あるいは、87年版ギネスブックの締め切り日だったとも考えられる。2日早ければ、209年ぶりに大島の三原山が噴火した日だったが、たとえば三島由紀夫が割腹自殺した日などという記録に残る日ではなく、フツーの日に彼は死んだ。

増村保造は東京帝国大学法学部で三島由紀夫と同期だった。実際に学生時代から面識があったかどうかはわからないが、1960年、増村は三島を主演に「からっ風野郎」という映画を撮っている。ナルシスト三島が初めて主演した映画である。三島は自ら作詞した歌を劇中で歌い、パセティックに死んでいく。

三島は映画に出ると死にたがった。五社英雄監督の「人斬り」では薩摩の田中新兵衛に扮して切腹し、自ら監督主演した「憂国」では延々と割腹シーンを描いた。「豊饒の海」の第2部「奔馬」のラストシーンも割腹で終わる。美学の人だった。

そんな三島が熱演した「からっ風野郎」だが、増村は「どうしょうもなく下手だった」というコメントしか残していない。それでも三島の死後、増村はフリーとなってから自主企画のATG(アートシアター・ギルド)映画として三島由紀夫原作の「音楽」を作っている。

「音楽」は黒沢のり子が主演している。知っている人は知っている、という感じの女優だ。ああ、と思い出す人もいると思う。ATG映画(芸術的!)でセックスシーンもある映画に女優生命をかけて主演したが、一時的に話題になっただけで消えてしまった女優である。だが、未だにこの映画のポスターがくっきりと浮かんでくる。シャドーを基調にした絵柄で、少しエロチックだった。

増村保造は大映の監督だった。「女を描くのに定評がある」とプロフィールなどには決まり文句のように書かれた。

確かに彼が描くヒロインは力強く魅力的だった。若尾文子(卍、赤い天使)、緑魔子(大悪党、盲獣)、渥美マリ(でんきくらげ、しびれくらげ)、安田道代(痴人の愛、セックスチェック・第二の性)、関根恵子(遊び)、大谷直子(やくざ絶唱)、原田美枝子(大地の子守歌)、梶芽衣子(曽根崎心中)、それぞれの代表作は増村が撮っている。

増村映画の女たちは強い。いや、女だけではない。登場人物たちはパッションに衝き動かされるように行動し、怒鳴り合うようにしゃべり、自分の気持ちをストレートに口にする。セリフは棒読みだ。

常に画面には強い葛藤が存在し、ドラマを次へ次へと引っ張っていく力強いエネルギーが満ち溢れている。情緒的画面ではなく、乾いたストレートな表現と描写が、ドラマを創りだしていくのだ。

梶芽衣子と宇崎竜童(初めてサングラスを外して出た)主演の「曾根崎心中」を見てきた、僕の友人は、その映画をひと言で語った。

「うるさい映画やったあ」

さて、うるさくて登場人物たちの言動にわざとらしさを感じるのに、ドラマの持つ力に負けて次も見ずにはいられない、そんなテレビドラマを思い出さないだろうか。

たとえば「スチュワーデス物語」(1983年10月〜1984年3月、TBS系列)、そして1974年「赤い迷路」から始まった「赤い」シリーズ。これらは、大映テレビ室が制作したドラマであり、増村自身もタッチした。

「赤い」シリーズは人気絶頂の山口百恵が出演するのが売り物だったが、百恵が出たのは6作目までと最後になったシリーズ10作目で、間を水谷豊主演のものでつないだりした。ただ、そのドラマのトーンは変わらない。荒唐無稽とも思える設定が凄かった。

水谷豊がピアニストになったシリーズ。ピアノコンテスト間近なのに殺人の冤罪で拘置所に入れられた水谷のために、宇津井健は拘置所の中へピアノを持ち込み練習させる。それを警察に認めさせようとする時の宇津井健は(キャラクター的に情緒がからみウェットになるものの)増村的情熱を見せる演技だった。

「スチュワーデス物語」で風間杜夫の教官が「おまえはのろまな亀だ」的なセリフを棒読みで怒鳴るようにしゃべり、オーバーアクションで演技する時、テレビの狭い画面をはみだすようなドラマのエネルギーを感じなかっただろうか。

それらのドラマーのトーンを創ったのは、間違いなく増村保造だ。大映テレビ室制作のドラマは、ドラマを前へ前へと進める力を増村的演出から取り入れ、そこへメロドラマ的ストーリーを注入し、本来ドライであった増村的映像にウエットな要素を持ち込み、不思議な非リアリズム空間(というより、ほとんどシュールレアリズムだ)を作り上げた。

増村保造は、1952年、ローマの国立映画センターに留学をする。1954年に卒業し、55年に帰国。大映の助監督に復帰し、1957年に監督昇進。処女作「くちづけ」を創る。

父親が選挙違反で拘留されている青年と、父親が公金横領で拘留されている娘が東京拘置所で出会う。娘の母親は結核で入院し、娘はヌードモデルをやりながら生活を支えているのだが、その状況は描きようによっては悲惨で救いのないものになるのに、野添ひとみのヒロインはまったくめげず卑屈にならず誇り高く、そしてやさしい。

先輩のモデルから「妾にならないか」と持ちかけられた時も「いくらになるのかしら」とストレートに聞き返す。親のために自分の体を売るとか犠牲にするとか、そんな悲壮感もみじめさも嘆きも感じさせない。自己憐憫のなさが、娘を誇り高く見せる。フェミニズムの闘士にぜひ見てもらいたいヒロイン像だ。

主人公の青年は川口浩。野添ひとみとはその後、結婚し死ぬまで連れ添うことになる。この映画でふたりは、初めて出会ったのだろうか。画面からは二人の瑞々しく息が弾むような高揚感を感じる。いや、増村の処女作の瑞々しさなのだろう。42年前の作品だが、見事な青春映画です。

ところで13年前に作られた1500メートルの海苔巻きは、その後どうなったんでしょうねぇ。

1999/8/31




●リメイクとパクリとインスパイアと



女「聞いてほしいことがあるの」
男「今更、何を聞くんだ。涙を流して『いろいろ訳があるんです』か。俺はもう、美しい唇から出る言葉も、真珠のような涙も、信じないことにしてきた。4年だ。ひと口に4年といえば短いが、朝が……」
女「1500回、昼が1500回………夜も同じだけあったわ」

行方不明になった恋人を捜し続けていた主人公が、4年ぶりに別の男の妻として現れた女に向かって言う。うまいのは、このセリフだけで主人公が恋人と会えなくなった日々を指を折るように数えていたとわかることである。

そして、行方不明だった恋人も同じように日々を数えていた。そんなにまで二人は愛し合っていたのだと、今も愛し合っているのだと、このセリフはわからせてくれる。

この映画は、このセリフだけで存在価値がある。言い方を変えれば、このセリフ以外に見るべきもの・聞くべきものはない。このセリフの押さえとして、最後に恋人とその夫を送り出すときに、主人公が「僕たちは1500回の昼と夜を取り戻した」というシーンがあるが、しかし、これも付け足しの感が否めない。

外国航路の航海士だった主人公は恋人と結婚するために船を降りた。だが、娘は教会へ向かう途中、車にはねられ行方不明になってしまう。主人公は狂ったように恋人を探すが、杳として行方は知れない。

絶望した主人公は、やがてヨコハマにクラブを開いてオーナーになり、密出国の斡旋をする裏の顔を持つようになる。恋人に裏切られた過去が、彼をクールに振る舞わせる。

ある日、主人公の酒場に東南アジアの某国の革命指導者が現れ、日本からの密出国を依頼する。彼の恋人は、その男の妻として現れたのである。こんな話、どこかで聞いたことはありませんか?

そう、これはあの有名な「カサブランカ」ですね。ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの大メロドラマ、有名な決めゼリフが数分に一回は出てくるという、ハリウッドの古典である。

女「昨夜、どこにいたの?」
リック「そんな昔のことは忘れたね」
女「今夜、逢ってくれる?」
リック「そんな先のことはわからない」

映画が始まってすぐにこの調子だ。こんなセリフ、素面じゃ言えません。ハンフリー・ボガートだって、きっとそう思っていたに違いない。

同じようなシチュエーションが前述のリメイク版にもある。「カサブランカ」では酒場のピアノ弾きが歌うが、リメイク版は主人公自らがピアノを弾いて歌ってくれる。もちろん主人公を演じる俳優が歌手としても大変に有名だからだ。

白人の女がピアノにもたれて言う。
女「昨夜、楽しかったわ」
主人公「…………(ピアノを弾き歌い続ける)」
女「今夜、あいてるけど」
主人公「…………(ピアノを弾き歌い続ける)」

女は英語で言ったのではないから、主人公に通じなかったわけではない。主人公のクールさを見せる場面である。しかし、彼はただ自分の持ち歌を歌っているだけだ。これも観客サービスなのだろう。彼の歌は今でもカラオケで歌い続けられている。(僕も時々歌う)

それにしても、ちょっとひどかないか。冒頭に紹介したセリフは元の映画を越えたと思うけど……。

この映画は1967年に公開された。(オリジナルの「カサブランカ」の制作は1942年だが、日本初公開は1946年6月13日だった)

さて、この頃、彼の主演作は年に何本も公開されたが、1966年に出演したある映画では、将来有望なジャズ・ピアニスト役を演じた。主人公が久しぶりにニューヨークから帰ると、自分の部屋で恋人が見知らぬ男と争っている。その争いの中、男から拳銃を取り上げて間違って発射し、恋人を殺してしまう。

やがて出所した主人公はヨコハマのホテルに落ち着き、恋人の過去を探ろうとするが、そこでひとりのミステリアスな雰囲気を持つ未亡人と知り合う。主人公をつけ回すベテラン刑事は、女が財産目当てに富豪の夫を殺したと疑われていることを主人公に教えるが、主人公はどんどん女の魅力に惹かれていく。

この映画でも主人公はホテルのラウンジでピアノを弾いて「風に揺れる〜小舟のように〜揺れる〜こ〜こ〜ろ〜」と歌う。そこへ、ヒロインが帰ってくる。紗がかかり光がにじんだ画面にヒロインがアップでとらえられ、「あなたに疑われたままじゃ、私、生きていけない」と彼女は言う。

こんな話、どこかで聞いたことはありませんか?
そう、「カサブランカ」ほど有名じゃないが、フランソワーズ・アルヌールが主演した「過去を持つ愛情」(1954年・フランス)である。

「過去を持つ愛情」は舞台がポルトガルのリスボンということもあり、ファドの女王と呼ばれたアマリア・ロドリゲスの歌う「暗い艀」が使われてヒットした。1966年にリメイクされた日本版の中で主人公が歌う主題歌が少し気怠いのは、「暗い艀」の影響なのだろうか。

アマリア・ロドリゲスは先頃、朝日新聞に死亡記事が出て「まだ、生きていたのか」と思ったが、79歳だった。

中村とうよう著「ポピュラー音楽の世紀」(岩波新書)によれば「ファドと呼ばれるこの国独特の歌はとりわけ節回しが細かく複雑なのだが、波に揺れるようなファドの抑揚を、伸びやかによく響くアマリアの声で聞いていると、激しく上下するリズムとあいまって、頭がクラクラ船酔いしそうになるほどの鮮烈さ」であるという。

ちなみにアルヌールはある世代に抜群の人気を誇り、文春文庫の「女優ベスト150」においては、オードリー・ヘップバーンをおさえて1位になっている。アルヌールがジャン・ギャバンと共演した「ヘッドライト」(1955年・フランス)は、仲代達矢と藤谷美和子で「道」(1986年・東映)としてリメイクされた。

おわかりだと思うが、2本のリメイク版の主人公を演じたのは石原裕次郎。もちろん相手役はどちらも浅丘ルリ子である。「カサブランカ」のリメイクは「夜霧よ、今夜も有難う」であり、「過去を持つ愛情」は「帰らざる波止場」という映画になった。

僕はここまでリメイクという言葉を使ったが、実は2本ともリメイクであることを明らかにしていないし、原作・原典のクレジットはしていない。(「道」は原作セルジュ・グルッサールとクレジットし、リメイクであることを明らかにしている)

つまり、よく言えば翻案、身も蓋もなく言えばパクリなのである。もっとも「カサブランカ」のパクリは邦画でも数本あるらしく、東映の時代劇として翻案され美空ひばりが主演したと何かで読んだことがある。また、「ローマの休日」も東映で時代劇として翻案されたことがあるらしい。

まあ、今のテレビドラマのタイトルは剽窃ばかりだし、内容も最近はハリウッド映画からのパクリが多い。ハリウッド映画はさすがに権利にうるさい国らしく、きちんと脚本を買ってリメイクしているようだ。

リュック・ベッソンの「ニキータ」(1990年・フランス)が「アサシン」(1993年・アメリカ)になったり、黒澤明の「用心棒」(1961年・東宝)が「ラストマン・スタンディング」(1996年・アメリカ)になったり、面白いとなれば外国映画もいろいろリメイクしている。

黒澤明の「用心棒」をそのままパクった「荒野の用心棒」(1964年・イタリア)が日本公開になり、さすがに見とがめた黒澤プロが抗議して全世界の配給収入の何パーセントかを支払わせることになった事件があった。これは日本公開されたのでバレちゃったが、監督のセルジュ・レオーネはまさか自分の映画が東洋の果てで公開されるとは思っていなかったに違いない。

しかし「荒野の用心棒」は世界中でヒットし、レオーネ監督はその後ハリウッドに進出したし、イタリアへ流れた二流役者だったクリント・イーストウッドもハリウッド復帰が叶い、大スター・大監督になる。また、この映画がきっかけで、イタリア製西部劇はマカロニウェスタンとして世界市場に売れた。

しかし、黒澤プロの対応は当然かもしれないが、僕は無粋なことだと思う。「用心棒」のストーリーパターンは、ダシール・ハメットの「血の収穫」である。ひとつの町で対立するふたつのギャング団。政治家たちもどちらかに肩入れしている。主人公はそのふたつの勢力をけしかけ、自滅させる。小林信彦はハメットの短編「町の名はコークスクルー」が「用心棒」の元ネタだろうと指摘する。

黒澤も身に覚えがあると思うが、「七人の侍」のエピソードにも、いろいろな原典が見え隠れしている。映画の世界は、そういうものなのだ。いちいちパクリに目くじらを立てるものではない、と僕は思う。

最近、「権利の国」アメリカの影響で、そういういい加減さがどんどんなくなっている。いやだなあ。ああ、あの小説からとったなとか、あの映画のシーンをパクったなとか、それを見抜くのも映画を見る楽しみなのに……。

薬師丸ひろ子主演「Wの悲劇」(1984年・角川事務所)も盗作騒ぎに巻き込まれたことがある。僕は盗作されたといわれるアーウィン・ショーの「憂いを含んで、ほのかに甘く」という短編を読んでいたが、盗作だとは思わなかった。騒ぎになってからも読み返したが、あれを盗作といったら映画は作れなくなるし小説も書けなくなる。あれは小説からインスパイアされた、ということだと思う。

だから「知的所有権」も何だかな、と思っている今日この頃です。

1999/9/20

□15年くらい前のこと、「1500回の夜」という短編を書いて「オール読物新人賞」に応募したら選考を通って誌面にタイトルと名前が掲載されたが、次の選考で落ちた。裕次郎のセリフにインスパイアされたストーリーだった。(1999/11/26)







■読書の快楽 十河進




●クライム・ストーリーに対する極私的な偏愛について



犯罪が好きである。自分でやろうとは思わないが、犯罪に対しての興味は強いと思う。知人に異常犯罪に異常に興味がある変な奴がいて、週刊「マーダーケース」を買っている。僕は、どちらかというと異常犯罪はダメである。佐木隆三の「復讐するは我にあり」は傑作だと思うが、「宮崎勤裁判」は読めなかった。実は、実話はあまり好きではない。(くだらないギャグですね)

子供の頃には誰もが正義派である。正しい者が勝つのだと、月光仮面も七色仮面もアラーの使者もまぼろし探偵も少年探偵団も少年ジェットも名探偵ビリー・パックも鉄腕アトムも鉄人28号もスーパーマンもエイトマンも、みんながそう教えてくれた。

しかし、である。犯罪の暗い情念は少年の心に何かを掻き立てた。まず、それはホームズの少年ものを読んだ時に始まった。「唇のねじれた男」という短編の犯人の告白に何かを感じたことが最初だったと思う。普通の勤め人が、犯罪とはいえないが異常な二重生活に入っていく課程が告白されるのだが、その心理と踏み込んではいけない雰囲気に魅惑されたといっていいだろう。

物語の主人公が、みんな立派な正義派ばかりではないと気付いたのもその頃だ。いや、どちらかというと、古典と呼ばれ名作といわれるものの主人公はほとんど立派な人間ではなく、正義派でもないと知ったのだった。

ピカレスク・ロマンという名称がある。悪漢小説と訳されるが、女たらしや泥棒や卑劣漢が主人公の物語がいっぱいあると、小学生の5年の頃には知ってしまった。今から思えば大人の世界を知るのが早かった気はするが、別に後悔はしていない。おかげで、妙な読書歴を持ってしまったが、正当な読書歴って何だ? という疑問もないではない。

クライム・ストーリーという分野がある。ミステリのジャンルに含まれるのだろうが、犯罪者が主人公の場合が多い。あるいは心ならずも犯罪に引きずり込まれる主人公、という設定もある。

昔の創元推理文庫はカバーの背にジャンル分けのマークがついていて、これは便利だったのだが、「法廷もの・倒叙もの・その他」というジャンルがあり、なぜか時計のマークだった。その他のジャンル分けは、本格推理小説、スリラー・サスペンス、ハードボイルド・警察小説、国際スパイとなっていた。簡単にジャンル分けができた古き良き時代の話だ。

この倒叙もの、というのが好きだった。犯人側からの叙述でストーリーが進行し、水も漏らさぬ完全犯罪だったのが、探偵の出現によって少しずつほころびを見せ始める。それを再びカバーし、探偵と知恵比べをするというような設定が多い。

犯罪がいつバレるかというサスペンスで読者を引っ張っていかなければならないから、これをきちんと書けたら名手である。むずかしい分野だけにあまり名作はない。有名なのはフランシス・アイルズの「殺意」だろうか。妻殺しの話である。夫が殺意を抱く相手のほとんどは妻であるのかもしれない。

話は逸れるが、ジャック・レモン主演の「女房の殺し方教えます」はちょっと凄い。原題はハウ・ツー・マーダー・ユア・ワイフだからほとんどそのまま。独身主義の売れっ子漫画家が酔った勢いで結婚してしまった相手は離婚禁止のカソリック教徒のイタリア娘。コミックの主人公にストーリーの中で女房を殺させるが、それを見た妻が失踪。近所の人間の証言で妻殺しの疑いで逮捕され裁判になる。

すべての証拠、証人が彼を有罪だと示している。居直ったジャック・レモンは「妻を殺してなぜ悪い。あんたも妻を殺したいと思ったことはないのか」と陪審員(なぜか男ばかり)や判事に迫る。その論理で自分を弁護し無罪を勝ち取ってしまう。つまり、妻を殺しても無罪になるという、今ならフェミニズム団体から猛烈に抗議を受ける映画だった。あれも古き良き時代の映画である。

話を戻すと、倒叙ものというスタイルは「刑事コロンボ」によって一般にもよく知られることになった。ということは、今なら「古畑任三郎」である。「刑事コロンボ」の初期のものは、見事な倒叙ストーリーだった。このジャンルの古典的傑作は「殺意」とクロフツの「クロイドン発12時30分」とリチャード・ハルの「伯母殺人事件」だといわれている。いわゆる3大名作だ。

最近、このジャンルでがんばっているのは、ピーター・ラヴゼイあたりか。「偽のデュー警部」は倒叙もののサスペンスと本格ものの謎解きが両方楽しめたうえ、後味がいいという傑作である。一冊の中で倒叙ものと本格ものとサスペンスものが楽しめる奇跡的な名作としてはアイラ・レヴィン23歳の処女作「死の接吻」がある。

1部・ドロシイ、2部・エレン、3部・マリオンとなっているが、これは3女、次女、長女の順で並んだ富豪の父親を持つ3人姉妹の名前だ。ドロシイは自殺を装って殺され(彼と呼ばれる犯人の正体は伏せられている)、妹の自殺に不審を抱いた姉のエレンは犯人探しを始めるが失敗して殺され(2部のラストで犯人は明らかになる)、犯人は長女に接近する。

この小説は当然、映画化されている。1960年に日本公開になった時の邦題は「赤い崖」で、主演はロバート・ワグナー。ナタリー・ウッドと2度結婚した男だ。数年前に再び映画化され、マット・ディロンとぷっつん女優といわれる「ブレードランナー」のショーン・ヤングが主演だった。第一の殺人のショッキングなシーンから始まり、かなり怖い映画だった。

日本でもテレビドラマになったことがあり、野心家の主人公が黒沢年男、長女が鰐渕晴子、次女が確か武原英子、3女が紀比呂子、父親が三国連太郎だった。このドラマは原作に忠実で、最後にふたりの娘を殺された父親が主人公を追いつめ告白させるシーンは三国のうまさもあって未だに生々しく甦る。

創元推理文庫ではサスペンスに分類されていたけれど、カトリーヌ・アルレーの犯罪ものもおすすめだ。その他、悪女もの、悪徳警官もの、ギャングもの、ケイパーもの、コンゲームものなど、クライムストーリーにはいろいろあるが、それらについては機会を改めたい。

犯罪も小説の中でなら、それほど害を与えない。それに、小説の場合、結末はだいたい犯罪は引き合わない、あるいは犯罪者は何らかの罰を受けるということがほとんどで、前述のアルレーの「わらの女」のような掟破りの結末は、あまりない。(クリスティにしろアルレーにしろ女は平気で掟破り、定石破り、アンフェアな仕掛けというのをやってしまう)

犯罪者をこんなに魅力的に描いていいのか、と思ったのが映画「太陽がいっぱい」だった。13歳の時に見て、ゾクゾクしてしまった。あのヨット上での殺人シーンの美しさ。人殺しのシーンをあんなに美しく描いていいのか。責任者出てこーい、とはいわなかったが、完全に魅了されてしまった。ホテルの部屋でサインの練習をするシーンの魅力的なこと。最初から最後まで完璧な犯罪映画の傑作だ。

アラン・ドロンは23か24歳。「太陽がいっぱい」だけで歴史に残る俳優である。ふたりも殺していながら、あのまま完全犯罪が成立しても当然と思わせるものがあった。だから、結末のどんでん返しは、犯罪は露見するという一般社会のモラルに妥協したものに過ぎず、とってつけたようなオチである。

金と女を手に入れたトム・リプレイは、浜辺のデッキチェアで寝そべりながら「太陽がいっぱいだ」とつぶやいて終わるだけでよかったのだ。せめて、映画でくらい犯罪は魅力的だと思わせてほしかった。

しかし、パトリシア・ハイスミスの原作「才人リプレイ君」では、主人公は殺人を犯しながらも逃げ延びてしまう。その後、彼女の小説のシリーズ・キャラクターとして別の小説にも登場する。そのひとつが、ヴィム・ヴェンダースが映画化した「アメリカの友人」だ。ここでは、トム・リプレイを今や風呂に浸かりながら「アヒルちゃん」などといっているデニス・ホッパーが演じていた。

ところで、やはり犯罪は引き合わないのである。「太陽がいっぱい」より2年前に映画化された「死刑台のエレベーター」も犯罪を描いた傑作だが、思わぬことで殺人が露見してしまう。後にドロンに殺されるモーリス・ロネの主演、共犯者はジャンヌ・モローである。マイルス・デイビスが映像を見ながらアドリブで音楽をつけていったという伝説(?)で有名な映画だ。

モーリス・ロネは社長夫人と恋仲になり、密室を偽装して社長を自殺に見せかけて殺すが、エレベーターに閉じこめられてしまう。その間に、青年と娘が彼の車を盗んでドライブに出る。彼らは車にあった拳銃で知り合った旅行者を射殺してしまう。証拠品から、その旅行者を殺したのはモーリス・ロネだと疑われる。それが冤罪だと主張するためには、本当の殺人を告白しなければならないという窮地にたつわけだ。

「死刑台のエレベーター」の原作はノエル・カレフ。創元推理文庫では、スリラー・サスペンスに分類され黒猫のマークだった。今はもう手に入らない。古き良き時代の犯罪小説であった。

1996/5/4

□最近のミステリーに出てくる犯罪はサイコ的なものばかりで、あまり好きになれない。異常者を犯人にするのはイージーだと思うが、トマス・ハリス(「レッド・ドラゴン」「羊たちの沈黙」)のようなアクロバット的設定をして大成功する作家もいるからなあ。(1999/11/25)




●フィリップ・K・ディックの小説は読むドラッグである



7月に早川書房からハードカバーで「ブレードランナー」の続編が出た。デッカードとレイチェルがふたりで逃亡した後のシーンから始まるようだから、映画の方のストーリーを元にした続編だ。「映画化決定」と本の腰巻きにあるので、もしかしたらノベライゼーションかもしれない、と思って確かめたら、フィリップ・K・ディックと親交があったSF作家が書いたものらしい。

もちろん、「ブレードランナー」の原作者であるディックが書けるわけはない。彼は「ブレードランナー」が日本公開された頃(1982年)に死んでしまった。「ブレードランナー」は、じわじわとカルトムービーのポジションを占め、今では多くの人に知られているが、原作者のデッィクは未だにSFファンにしか受け入れられていない。

「ブレードランナー」の原作は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」というタイトルだったのだが、映画公開の直前から一時期、「ブレードランナー」というタイトルで出されていたことがあるはずだ。その後、元のタイトルに戻り、今でもハヤカワSF文庫で出版されている。

ディックの代表作といえば、やはり「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」だろう。SFマガジンの読者が選んだオールタイムベストテンでも第9位に入っている。次に入ってくるのは26位の「火星のタイムスリップ」だ。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は原題そのままである。映画「ブレードランナー」と違うのは、文庫本の表紙になっている電気羊と共感ボックスの存在だ。映画は不思議な雰囲気を持つアクションSFになっていたが、原作の持つ哲学的側面は描けなかった。

未来世界。人々は絶望して生きているが、彼らの希望は本物の生命体であるペットを飼うことであり、彼らの精神生活を支えているのは石を投げられながらも荒野の坂をただひたすら登り続ける聖者に同化してしまう共感(エンパシー)ボックスの存在である。また、映画はデッカードをある種のハードボイルドヒーローに通じる描き方をしたが、原作のデッカードは、女房の尻に敷かれる生活人であり、本物の生きたペットを買う甲斐性がないことで女房から嫌みを言われる亭主なのである。現実のサラリーマンを模したような哀しい存在だ。

メインストーリーは映画と同じだ。植民惑星から自由を求めて脱走し地球に潜入した8人のアンドロイドたち(映画はレプリカントと呼んでいた)を見つけ出し、抹殺する。デッカードは、バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)なのである。面白いのは、映画でも使われていたが、アンドロイドを見分けるテスト。その質問項目は、映画でも忠実に使われていた。原作でテーマになるのは、やはり記憶。アンドロイドの寿命は数年だが、子供の頃から現在までの記憶が植え込まれている。だから、ローゼン協会(映画ではタイレル社)の秘書であるレイチェルは、自分を人間だと信じていたのだ。

デッカードもまた、アンドロイドを追ううちに自分が人工の記憶を埋め込まれたアンドロイドなのではないかと疑い始める。このあたりから、本格的にディック・ワールドが展開され始める。ディック・ワールドは現実の崩壊なのだ。今まで自分が信じ切っていたことが、曖昧になり現実感を失い、自分が生きているのか死んでいるのかさえわからなくなる。デッカードは、自分にアンドロイドを見分けるテストを施すまでになるのだ。これは、けっこう怖い状況である。「俺は一体、何者なのだ」というテーゼ。すべての哲学はここから出発している。

アーノルド・シュワルツェネッガー主演「トータルリコール」は、大がかりなハリウッド製SF映画だが、原作はディックの短編だ。イメージの世界だけで火星旅行ができるという店を訪れた主人公は火星を舞台にした冒険旅行をオーダーする。設定は秘密諜報部員。しかし、彼はそのことをきっかけにして本当の記憶を甦らせてしまう。

彼は当局の腕利きのエージェントだったが火星の反体制派に寝返り、当局に捕らえられたうえ偽の記憶を埋め込まれて地球で一市民として生活させられていたのだ。妻だと思っていたのは、当局からつけられた監視役だった。彼は訳がわからないまま銃撃戦をくぐり抜け、自分の正体と過去を求めて火星へ渡る。

主人公が火星のホテルにいる時に、この映画がアクション映画になるか、ディック的世界になるかの岐路になったシーンが訪れる。ホテルの部屋のドアを叩いて例の店の主人(だったと思う。もしかしたら精神分析の医者だったかな)が現れる。主人は「あなたは、本当は店のベッドに寝ている。これは、すべて私どもが提供した幻想の中の冒険なのだ」と言う。その後、シャロン・ストーンの妻も現れて「あなた、目をさまして」と言い出す。

主人公は信じかけ、相手の差し出す薬を飲もうとして、何かに気付いていきなり相手を撃ち殺す。そこで、再びアクション映画になってしまうのだが、僕は映画館の暗闇の中で「ああ、ディック・ワールドになれたのに」と溜息をついた。

一時期、ディックを固め読みしたことがある。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」「火星のタイムスリップ」「高い城の男」「流れよ我が涙、と警官は言った」「ユービック」「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」など、今でも本棚にあるのを数えると15冊だった。

自慢は、今はなくなってしまったサンリオSF文庫で「時は乱れて」「ヴァリス」「聖なる侵入」「暗闇のスキャナー」など8冊持っていることだ(そんなこと誰も羨ましがらないと思うけど)。このサンリオSF文庫で出ていたものは、今、創元文庫でいくつか手に入る。

固め読みしていた頃、僕は現実感が崩壊していく経験をした。ディックはドラッグそのものをテーマにした小説も書いているが、ディックの小説そのものがドラッグなのである。「ユービック」を読んでいると、登場人物たちが生きているのか死んでいるのか、現実なのか幻想なのか皆目わからなくなる。ディックの小説は読むのではなく、体験するのである。

ディックの小説は決して読みやすいものではない。プロットが破綻しているのじゃないかと思えるものもある。「わけがわからないが、とにかく凄い」ということに抵抗がない人にはおすすめの作家だが、どうしてもつじつまが合わないストーリーは許せない、という人にはおすすめしない。

昔、鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」や「陽炎座」を見て「わけがわからない」と言う人が多かったが(そういえば、鈴木清順監督は、わけがわからない映画を創るという理由で日活をクビになった)、だいたい「そんなに映画はわけがわからなければいけないのか」と僕は思った。

小説や映画は理に落ち、つじつまがあい、きちんとすべて説明されるものだと思っている人は不幸である。体験する小説、体験する映画というものもあるのだ。だから、ぜひ、ディック・ワールドを体験してもらいたい。

第2次世界大戦にドイツと日本が勝ち、アメリカの東半分をドイツが、西半分を日本が占領しているという設定で書かれたヒューゴー賞受賞の「高い城の男」か、水不足の火星を舞台に時間を操る能力を持つ少年を登場させた「火星のタイムスリップ」あたりから読むと入りやすいかもしれない。

1996/9/21

□1999年、「マトリックス」が評判になったが、あれもディック・ワールドの影響を受けている。ただし、きちんと理詰めで説明しきっているので、わかりやすく混乱はない。だから、ヒットした。(1999/11/26)




●なぜか才能ある人間たちが集まる会社があった



もう30年以上も以前のことになるが、翻訳ミステリ専門雑誌が鎬を削っていた時期があった。早川書房が創刊した「エラリー・クイーンズ・ミステリマガジン」が順調だということで、2誌が後を追ったのだ。「アルフレッド・ヒッチコックズ・ミステリマガジン」と「マンハント」である。

「エラリー・クイーンズ・ミステリマガジン」の初代編集長は都築道夫、編集部員は小泉太郎と黒田喜夫がいたはずだ。2代目の編集長は小泉太郎。後の生島治郎である。その後、1964年頃は社長の早川清自らが編集長として名を出しているが、1965年の号を見ると常盤新平が編集長として名前を出している。これだけ作家を排出した編集部も珍しいのではないだろうか。生島と常盤は直木賞を受賞している。都築は賞にはあまり縁がないが通に受ける作家だ。

早川書房には他にも様々な才能が集まっていた。生島治郎こと小泉太郎の入社試験の時に登場するのは、編集部長の田村隆一である。後にサントリーのウイスキーのCMにも登場した酔っぱらいの詩人である。黒田喜夫も詩人である。思潮社の現代詩文庫の1は「田村隆一詩集」であり、3が岩田宏こと翻訳者ネームは小笠原豊樹、7巻が黒田喜夫、9巻が鮎川信夫である。鮎川もミステリの翻訳をいくつか手がけている。その他、早川書房にはSFマガジンの編集長である福島正美もいた。

その時代のことを、生島治郎が実名で小説にしている。小説現代に連載していた時に読んでいたのだが、今年の8月に講談社文庫に入った。「浪漫疾風録」という。連載時は社名は変えていたが、文庫を読むと早川書房になっていた。ケチな社長はファッツという渾名でしか呼ばれないが、これは早川清社長なのだろう。今は2代目の早川浩氏になっているはずだが、今年の春頃だったか、相続税を十億円以上も申告漏れしていたという記事が朝日新聞の一面を飾った。

「浪漫疾風録」を読んでいたし、出版労連の歴史の中でも有名な組合つぶしをしたという早川書房のことだから、ああ、やっぱりね、とうなずいてしまったものだ。もっとも、僕は今までずいぶん本を買ってきたが、最も金をつぎ込んだのは早川書房だと思う。先月だけだって1万円ちかく貢いでいる。最近は文庫が中心だから冊数としてはかなり多い。次はきっと新潮社だ。次に講談社か。

余談だが、詩人や作家を排出したということでは、一時期の河出書房もそうだ。労働組合の委員長が後の芥川賞作家の古山高麗雄で書記長が詩人の清水哲夫だったという伝説が残っている。その他に詩人で後に芥川賞を受賞する三木卓もいた。

ところで、僕が初めて早川書房の本を買ったのは、1965年9月号の「エラリー・クィーンズ・ミステリマガジン」だったと思う。表紙裏つまり業界で言うところの表2には「国際諜報局」という、後にカルトムービーになる映画の広告が入っていた。後に「アルフィー」で有名になり、どんどん名優になっていくマイケル・ケインが主役の映画だ。

原作は早川ノヴェルズで出ていたレン・デイトンの「イプクレス・ファイル」だが、同じ作者の「ベルリンの葬送」と「10億ドルの頭脳」がシリーズで映画化される。黒縁の眼鏡をかけたマイケル・ケインが主人公ハリー・パーマーを演じた。

当時、映画の主役はハンサムな二枚目だと思いこんでいたまだ幼かった僕は、黒縁の眼鏡をとらない主人公がどうしても主役だと信じられなかった。映画界は007シリーズが全盛で、スパイといえばかっこいいものだったのに、この主人公は殴られれば殴られっぱなし。下手に抵抗しないという主義のスパイなのだった。しかし、映画を見て原作も読んだが、ストーリーはさっぱりわからなかった。

同じ号には、石川喬司の書評コラム「極楽の鬼」や星新一の「進化した猿たち」、渋沢龍彦の「秘密結社の手帖」、大伴昌司の映画コラム「EQMM5番館」など連載中だった。当時の人気を背景に「ジェイムズ・ボンド白書」なるものも連載されていて、このコラムのおかげで原作を読まずに007シリーズには詳しくなれたものである。

さて、生島治郎の「浪漫疾風録」は、僕が買い始める1、2年前に退社するところで終わっているから、実際には生島治郎が編集した雑誌は読んでいないのだが(後にバックナンバーを古本屋で何冊か購入した)、業界舞台裏物語としても楽しめる。面白いのは社長のファッツのケチぶりで、早川書房から作家が大勢輩出したのは、「みんな給料だけでは食べられなくてアルバイトに精を出したから」だというのは説得力があった。

常盤新平など、競合誌にまで原稿を書いていたというエピソードが出てくる。そういえば、福島正美の名前は学習雑誌の付録に毎月ついていたダイジェスト版のミステリー小冊子(たまにSFのこともあった)の編者として先に覚えたから、あれも福島正美のアルバイトだったのだろう。

開高健がロアルド・ダールの短編集「キス・キス」を翻訳したときのエピソード、結城昌治のEQMMコンテスト受賞の話など、関心のある人には貴重な資料的な価値もある。また、作者は照れもなく最初の夫人・小泉喜美子との結婚のいきさつ、家庭生活も披露していて、これは小泉喜美子ファン必読だ。

ゴールデン街の酒場の階段を踏み外して亡くなってから、もうずいぶんになるが、本当の意味でのハードボイルド・ファンの作家だったと思う。ジェイムズ・クラムリーの「さらば甘き口づけ」の翻訳は絶品です。

社長ファッツのケチぶりに激高した話としては、神戸の陳舜臣に仕事の電話をしていたら机に砂時計を置かれたエピソードと、雑誌の定期贈呈リストを社長がチェックしどんどん削ろうとするのを「原稿料が安いのですから、定期贈呈くらいは」と説得するエピソードが印象に残ったが、これは、中小出版社に勤めている人間には笑えない部分でもある。

この「浪漫疾風録」と併せて読むと面白いのが小林信彦の「夢の砦」(新潮文庫)だ。こちらは、中原弓彦という名前で「アルフレッド。ヒッチコック・ミステリマガジン」編集長をやっていた頃のことをベースにした小説で、失業中の主人公がひょんなことから推理作家の大家に頼まれて翻訳ミステリ雑誌の編集長になるというストーリー。中小出版社の人間関係や雰囲気もよく出ているし、東京オリンピック前の時代相がよくわかる。

作者はお遊びで、主人公が創刊した雑誌のパーティに中原弓彦や福島正美を実名で登場させる。売れない雑誌の編集者が、いかに企画に頭を使っているか、それでもなお売れない悲しさ、みたいなものも感じられて、けっこう身につまされる部分もあるが、社内にこんなに陰険な人間ばかりいたらいやだろうなあ、と思わされる部分も多い。

中原弓彦は「浪漫疾風録」にも登場してくる。主人公がEQMMの編集長になったときに表敬訪問してくるのがAHMM編集長の中原弓彦で、何とふたりは早稲田の英文科の同級生だったのがわかるというシーンがある。「そうか、小林か。その小林が中原弓彦なのか」と主人公は溜息をつく。

何人かの作家が自伝的な小説を残している。それらを読むと、若い頃に会った人間や友人が後にいろいろな分野で有名になったりしていて、どうしてこんなにみんな有名になるの? と不思議に思うことが多いのだが、やはり才能のある人間の周囲には才能のある人間が集まるらしい。

最近では、椎名誠一派が有名だが、あれは、椎名誠という人間のオーラが強くて周囲にいる才能のある人間をさらに伸ばす何かを持っているからに違いないと思う。今や写真家としても作家としても一流になった中村征夫さんも、椎名誠と仕事を組んで以来、どんどんメジャーになっていったものなあ。本人の実力もあるけれど、椎名誠という人は男の「あげまん」じゃないでしょうか。まあ、そんなことは、どうでもいいけど・・・

実名は出さないが、それらしくほのめかして実在の人間を登場させるのが堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」だ。自伝小説であり、北陸から上京し慶応大学へ通っていた時代の話なのだが、ある友人を訪ねると、彼は自殺した高名な文学者の息子で、別の部屋からバイオリンが聞こえてくる。「弟」だと言うが、この友人は芥川比呂志。もちろん弟は後年、有名な音楽家になる。あるいは、ある若手の役者に紹介されると、その役者は中野重治から一字ずつもらった若者(宇野重吉)だったりする。

その「若き日の詩人の肖像」に登場する新宿の酒場を根城とする「冬の帝王」と渾名された詩人は、鮎川信夫なのか、田村隆一なのか、ずっと迷っていたが、「浪漫疾風録」を読んで確信した。あの酒場での呑みっぷり・酔いっぷりは、田村隆一に違いない。

1996/9/21

□田村隆一は1998年正月の新聞広告に「おじいさんにもセックスを」というコピーと共にモデルとして登場し話題になった。広告主は宝島社。その年の秋に亡くなり、田村隆一の同じ写真を黒枠で囲った広告を宝島社は出した。追悼のつもりだったのだろうか。(1999/11/26)




●閉ざされた「夏への扉」



もう夏も終わりだ。夏の終わりは、やはりどこかさびしい。夏休みが終わるさみしさ、のようなものを思い出すからだろうか。通俗的だが、「今はもう秋〜、誰もいない海〜」というフレーズが浮かんできたりする。

薬師丸ひろ子主演の「野蛮人のように」は、ちょっと気取った奇妙な映画だが、一点感心したのは主人公の早熟な天才小説家の誕生日を8月31日に設定したこと。「子供の頃、誰も誕生日パーティにきてくれなかった」とヒロインは言う。

ところで、なぜか僕は夏になるとSFを読みたくなる。今年はJ.P.ホーガンの「創造主」シリーズの新作が翻訳されたので読もうと思ったが果たせず、これで来年の夏まで読めないな、という感じである。

SFマガジンの読者が選ぶオールタイム・ベストテンで1位に輝いたのは、ロバート・A・ハインラインの「夏への扉」である。山下達郎作曲の同タイトルの歌があるが、これは小説からインスパイアされたものだ。ちょっとSFらしくないタイトルである。

昔からSFを読んできた身としては、SFの黄金時代は1950年代だと思う。ハインライン、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフの3巨匠全盛時代である。「夏への扉」も1957年の作品。小説中の現在は1970年の近未来で、主人公は冷凍睡眠に入り、2000年に目覚める設定だ。1957年の時点から見ると、43年後の未来である。

SF小説の古典(何か変だが)を読んでいるとよくあるのが、その後の現実とのズレである。「夏への扉」の主人公は、1970年の時点でキーボードで入力できる製図機械を発想する。2000年に目覚めると、冷凍睡眠に入る前に自分が発想した機械が発展し実用化されていることに驚く。その謎を探るのが後半のメインストーリーになる。

「夏への扉」の主人公はエンジニア。自ら発明した家庭用ロボットの特許を元に友人と会社を起こす。秘書に雇った女性と恋をして婚約するが、友人と恋人に裏切られて会社を乗っ取られる。絶望した彼は愛猫と共に冷凍睡眠に入り、30年後に目覚めようとする。

30年後に目覚めた主人公は自分が発想したが具体的に設計はしなかった製品が、自分の名前で製品化されている謎にぶつかり、タイムマシンで30年前に戻り真相を探る。テーマはタイムパラドックスである。

タイムパラドックスを象徴的に説明する例として「タイムマシンで過去に戻り、自分の父親を殺したらどうなるか」というものがある。父親を殺せば自分は生まれないのだから、だとしたら殺しに行く自分も存在しないことになり、そうなると父親は殺されないのだから自分が生まれ、父親を殺しに行き、父親を殺すと……という堂々巡りが始まるわけだ。

このタイムパラドックスを解決するために、様々なアイデアを考えられ様々な小説が書かれてきた。前述の例にたとえれば「父親を殺したが自分は生まれてきた。実は自分は不倫の子だった」などという解決策である。

「夏への扉」は明らかに「バック・ツー・ザ・フューチャー」に影響を与えている。タイムパラドックスものというだけではなく、全体のストーリーの雰囲気とハッピーエンディングであることに(ちょっと主人公に都合がよすぎるぞ、という感じも)、共通性を強く感じる。

タイムパラドックス・テーマのSF小説は、歴史を変えないことを前提として、ストーリーを展開するために苦労してきた。辻褄は合わせなければならない。その枠の中で、どれだけ奇想天外なストーリーが展開できるか、それがSFマインドだった。「ドラえもん」に、そのSFマインドは生きている。特に映画用長編は、感心することが多い。

さて、「バック・ツー・ザ・フューチャー」の斬新さは、歴史を変えちゃったことである。あれじゃあ、ビフがかわいそうだ、と思うが、どちらに都合よく歴史を変えるかという戦いが2部以降(もちろんヒットしたから、2部以降のストーリーを考えたのだ)は中心になる。

「バック・ツー・ザ・フューチャー」でも「歴史を変えちゃいかん」とドクはしきりに言っているし、未来で撮った写真の自分の姿が次第に消えていくサスペンスを生かしているが、主人公にとって都合よく変わった歴史は認めてしまうんである。

人生をやり直したい、と一度も思わなかった人はいないだろう。まあ、6、7歳の子供は思わないかもしれないが、中学生の頃にはそんなことを考えた記憶が僕にはある。もっとも最近は、もう一度若い頃に戻って、とは考えなくなった。せっかく長い人生を我慢してやってきて残りの年数を減らしたのに、またやり直すんじゃたまらない、という気分だ。

どうせ、やり直したっていいことばかりじゃない、と思うようになったのはきっと年だからだ。「夏への扉」の主人公は、11歳の少女に恋して、そのままじゃロリコンと言われるところを、自らは30年の冷凍睡眠に入り、相手は21歳になったところで冷凍睡眠に入ることを指示して、2000年に30歳と21歳として再会し、妊娠させてしまう。

昔、この小説を読んだときには感じなかったが、それってやっぱり変態的なんじゃないか。それに、11歳の頃に「大きくなったらおじちゃんのお嫁さんにしてね」などと言っていた少女が、そのままの思いを抱えて21歳になるとは思えないし、まして自ら冷凍睡眠に入るなんて現実感がない。

やはり長く人間をやっているとシニカルになってしまう。
10代で読んだときは、けっこう感心したのだけど……

1999/8/20




●ホラー小説全盛時代を作った男



書店を覗くと、相変わらずスティーブン・キングの本が並んでいた。スティーブン・キングの筆力は驚異的だ。毎月のようにキングの本が出ている。何かが取り憑いて書かせている、としか思えない。昔は永井淳さんや深町真理子さんが訳していたが、最近は誰が訳しているのだろう。まったく読まなくなって10年以上になる。

初めて翻訳されたキングの本は「キャリー」だったと思う。新潮社から出たはずだが、あまり話題にならなかった。キングにとっても処女作である。映画「キャリー」(ブライアン・デ・パルマ監督・1976年)の方は、シシー・スペイセクという地味な女優の主演だったが、評判になった。当時からパルマは血まみれシーンが好きだった。

「キャリー」では、パイパー・ローリーというキャリーの母親役の女優さんが映画ファンの間で評判になった。何しろ名作「ハスラー」に出てきたきりで、その後、ほとんど出演作がなく、久しぶりの(それも母親役)日本公開作だったからだ。「ハスラー」では足が悪いインテリのヒロイン役で、最後に自殺してしまう。かわいそうだった。

その後、集英社から「呪われた町」のハードカバーが出て一部で評判になり、僕もその時に初めてキングを読んだ。オーソドックスな展開に「れれれっ」という感じもしたが、その圧倒的な筆力と伏線の張り方や盛り上げ方には感心した。その頃、ホラー小説は死滅したジャンルだったのだ。いや、ホラー小説というジャンルがなかった。創元推理文庫で出ていたラブクラフトなどは怪奇小説と命名されていたし、「ドラキュラ」などもその範疇だった。

現在のホラー小説の隆盛はキングの影響である。キングが登場しなかったら、こんなにホラーブームにはならなかっただろう。キングが出てきた頃は、「現代のゴシックロマン」というような言われ方をしていた。ゴシックロマンとは「嵐が丘」や「ジェーン・エア」をイメージするとわかりやすい。

キングの凄いところは、純文学系の作家にも影響を与えたことだ。村上春樹と吉本ばななに影響を与えたと慧眼の小林信彦は指摘するが、キングがまだ一部ファンしか獲得していなかった頃、村上春樹は文芸誌に「ステファン・キング論」(Stephen Kingをこう表記していたはずだ)を掲載した。

この作家論の連載には「都市小説としてのチャンドラー」という回もあり、単行本になるのを待っていたが、あれから十数年、未だに本にまとまらない。村上さん、何とかなりませんか。

「呪われた町」を読んで以来、新作の翻訳を待ちかねていたが、ミステリマガジンのコラムで「キングの最高作『シャイニング』紹介」を読んで、ますます首を長くしていた。「シャイニング」は1977年に書かれた3作目で、日本では翌年に出た。

「シャイニング」を出したのはパシフィカ。1980年に映画化された時、映画のスチルを使ったカバーにして出し直したが、その後、絶版になり、文春文庫で復刊するまで、数年、手に入らなかった。

「シャイニング」は確かにキングの最高傑作だった。誰のものかわからない不安なモノローグ。主調低音を作り出すような「レドラム」という言葉の繰り返し。すずめ蜂の巣のイメージ。凄い小説だった(スタンリー・キューブリックの映画化はひどかったけれど)。

その頃、早川文庫NVから怪奇小説のアンソロジーが出た。「闇の展覧会」と題されたアンソロジーの中にキングの中編「霧」が入っていて、これが読み出したらやめられない。ヒッチコックの「鳥」(原作はダフネ・デュ・モーリア。この人も「レベッカ」というゴシックロマンの名作を書いている)と似た感じの設定で、霧が出る前の嵐の描写など異変が起こる雰囲気作りが本当にうまい。

こんな話だ。
メイン州の湖の近くの別荘に住む小説家は嵐の翌日、息子を連れてスーパーへ買い物に行く。途中、湖水の上に奇妙な霧が出ているのを見て不安を感じる。スーパーで買い物をすます頃には、町を濃い霧が包み込んでいた。表に出た人が叫び声を上げたまま戻ってこない。「霧の中に何かいるぞ!!」と誰かが叫んだ。

1979年、ジョン・カーペンター(キング原作「クリスティーン」は彼の監督だ)というホラー映画ばかり撮る監督が「ザ・フォッグ」という映画を作ったが、てっきりキングを原作にしているものと思っていたら違った。まあ、こちらも濃い霧の中から海中に沈んでいたゾンビが現れるという内容だったけど……。

キングは書くことをやめられない作家らしい。あまり数を出すと売れなくなるから、というエージェントや版元の判断から、キング・ブランドでの小説は1年1作くらいにしていたのだが、そのペースではどんどん原稿がたまるらしい。そこで別名義(リチャード・バックマン)で出したのが「痩せゆく男」「バトルランナー」などだ。しかし、キング・ブランドでないと売れないと判断したのか、文春文庫ではキング名義で出版した。

キングの小説はほとんどが映像化されている。「シャイニング」もキューブリックの映画版の他にテレビ版もある。キング本人も映画好きで、自分で出演したり監督したりしたこともある。それまで映像化されたものには、いろいろ不満があったようだ。

僕はクローネンバーグ監督の「デッドゾーン」(1983年、日本公開は1987年)が好きだったが、キング原作で初めて映画的に評価されたのは「スタンド・バイ・ミー」(1986年)である。「恐怖の四季」と題された中編集の中の一編「ザ・ボディ(死体)」を忠実に映画化したもので、リバー・フェニックスを一躍人気スターにした。キーファー・サザーランドの日本デビューもこの映画だった。

この「恐怖の四季」には4編の中編が収められているが、映画化に向いているのか「刑務所のリタ・ヘイワース」を原作にした「ショーシャンクの空に」(1994年)は、キネマ旬報読者選定ベストワンになった。これもかなり原作に忠実だ。

映画でモーガン・フリーマンが演じたナレーターが、冤罪で終身刑に服したひとりの男のストーリーを語る。彼の刑務所の部屋の壁にはリタ・ヘイワースのポスターが貼られていた。そのポスターは新しいスターに変わったが、初めてポスターが外された時……。

余談だが、リタ・ヘイワースである。「ギルダ」(1946年)のリタ・ヘイワースである。「ギルダ」で初めて彼女が登場するシーンとその時のセリフを知らないアメリカ人はいない。イングリッシュ・アドベンチャー(ちょっと古いかな)の髭おじさん・天才オーソン・ウェルズを惑わせ捨てたリタ・ヘイワース(ウェルズは新妻を主演に「上海から来た女」を監督主演した)。晩年はアルツハイマーにかかり、全米のファンを嘆かせたリタ・ヘイワース。

「恐怖の四季」の中の「ゴールデン・ボーイ」も映画化されて、今年、日本でも公開された。原作は、とんでもなく悲惨な話で救いがないから、見たくないなと思っていたら、かなり結末を変えているらしい。原作のままの結末だったら映画を見終わってから、席、立てないでしょう。

毎月1冊ずつ刊行し、全6巻出た「グリーン・マイル」はかなり評判がいいが、トム・ハンクス主演で映画化されたらしい。ちょっと期待している。

1999/8/21

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